技術と音楽性

音楽の技術的なことについて言及しようと思っていたのを、忘れていた。

私はクラシックのピアニストの基準からすれば、中学生程度の技術レベルにも達していないかもしれない。しかし、実のところそんなことは全く気にしていない。

演奏技術と音楽性の関係は、外国語能力と「思考」の関係に似ている。外国語が出来るに越したことはないだろうが、外国語に通じれば通じるほどその人の思考が深くなる、といったことはない。もしそうなら、財津理が現代最高の哲学者だ、などといったことになってしまうだろう。でも、実際は違う。

セロニアス・モンクマル・ウォルドロンなどのジャズピアニストを思い出してみれば分かるが、彼らは自分の音楽を表現するには十分なだけの技術を持っていた。つまり、ただの技術だけが問題なのではなく──そうだとしたら、オスカー・ピーターソンが最高のピアニストだということになるだろう──、音楽的な表現性が問題なのだ。

私も、自分の音楽をやるに十分なだけの技術は持っている、と自負しているし、自分の音楽に、驕りはないが、自信は持っている。今が音楽的には最盛期かもしれないな、とも感じるほどだ。音楽する喜びを純粋に感じている。今日も、奥様お手をどうぞなどのナンバーを演奏して、幸せに酔い痴れた。お客さんは来ないが、私は幸せだ。本当に幸せ者だ。生きていて、良かった。