新エレホン-3

穏やかな日差しが差し込む夏の午後、私は再びシゲと会い、お茶を啜りながら話をした。

シゲ「今日は、『コミュニズムについて』をテーマにして、君と話がしたい。先ず、君が今なおコミュニストであるのかどうか、そして君が考えるコミュニズムとは何か、ということを聞こうか。」
私「私はコミュニストだよ。但し、〈党〉や独裁を支持しているわけではない。現状を批判する意志を持つ者として、コミュニストと敢えて名乗ろうと思っているんだ。」
シゲ「君は経済に疎いことを自認しているよね。だから、君のコミュニズムは政治的というか主意的なものかもしれないね。君は、どういう経緯で、『コミュニスト』を標榜するようになったのか、そしてそれは今なお有効だと思っているか? ということを訊いてもいいかな?」
私「勿論。私が『コミュニスト』を標榜するようになったわけを説明したいと思うんだが、それを語るには、良くも悪くも、柄谷行人という名前に言及しないで済ますわけにはいかないんだよ。」
シゲ「その事情を、私に分かるように説明してくれないか。」
私「もう10年以上前のことだが、私は早稲田大学というところに通っていた。そこで、学生として、〈セクト〉という人々と初めて出会ったんだ。いわゆる『内ゲバ』で多数の死傷者を出している大きな〈セクト〉だった。当時、かれらが学内をほぼ支配していたんだ。暴力と恐怖をもって、ね。そしてそんな〈セクト〉と早稲田大学当局が共犯関係にある、という人もいたよ。」
シゲ「つまり君にとって、生まれて初めての『左翼』との出会いは、死をも含む暴力の担い手としての左翼との出会いだったわけだね?」
私「その通り。私達は、立花隆が書いたドキュメンタリーなどを読んで、その〈セクト〉の歴史や実態を知った。」
シゲ「君はどういう立場性だったのか? 当時の君は、〈ノンポリ〉だったのだろうか? それとも政治的に何らかの意見を持っていたのだろうか?」
私「当時の私は、国家と資本を明確に批判する立場にはなかったよ。その意味で、〈ノンポリ〉だったと言えるのかもしれないが、私が在学中に、或る事件が起きて、否応なく政治的関係に入らざるを得なくなったんだ。」
シゲ「それを詳しく説明してくれないか?」
私「『新学館闘争』の勃発がそれだ。『新学館闘争』というのは、当時早稲田大学の総長だった奥島という男が、学生会館や地下部室などを全て撤去して、完全管理の新しいサークル棟を作る、という構想を発表したのに対して、学生側が激しく反発したという出来事だ。私自身、奥島のやり方に激怒し、運動に加わった。」
シゲ「ちょっと訊いてもいいかな…。何故君は、そこで〈政治参加〉したのだろう? 大学のサークル部室の問題など、些細な問題だと言えば言えるわけじゃないか。どうして君は、それに反応し、大学当局と対立するような動きに身を投じたのだろうか?」
私「先ず、言っておかなければならないが、早稲田大学には一種の自治の伝統があって、教室での公式の、退屈な講義ではなく、学生達自身が主催する自主ゼミのような学びの空間で知識などを得ていく、という慣習があった。その慣習のもと、私達は、サークルスペースを濃密なコミュニティとして、また自分達のテリトリーとして、捉えていたんだ。さらに言えば、こういう事情もある。中学や高校と違って、大学では〈クラス〉というものがコミュニティの軸となることはあまりない。大学生達というのは、精神的に孤立した、ばらばらな存在なんだ。そのばらばらな存在が、交流と交歓のために創り上げてきたのがサークルスペースだ。だから私が奥島に反発したのは、自分の実体的な生活の基盤自身が奪われる、という思いがあってのことなんだ。」
シゲ「早大生としての君の身分は、公式には学生証という文書によって保証される。だが、実体的な生活、つまりコミュニティの成員として他者達と生き生きと交流し相互触発する存在としての君の立場は、早稲田大学の地下の慣習によって保証されていたわけだね。」
私「その通り。で、『新学館闘争』に戻るけれども、その背景を説明してもいいかな?」
シゲ「勿論、いいとも。」
私「当時私が参加していたサークルの先輩など友人・知人は、『クロト』と呼ばれていたノンセクト・ラジカルの流れに属していた。かれらはアナーキズム的な傾向を持ち、〈セクト〉とは距離を保って細々と運動していたんだが、『新学館闘争』という危機的状況において、〈セクト〉とノンセクトが協力関係を持つことを約束したんだ。つまり、共闘ということだね。」
シゲ「政治的な主義主張は違うけれども、目の前の課題に対して共に闘おうということだね。」
私「その通り。ところが、問題が起きた。」
シゲ「問題とは?」
私「運動の最初の盛り上がり、つまり大学当局が強行しようとした新学館の説明会と、それに抗議しようとする運動側の対峙があった時、〈セクト〉がノンセクトの仲間達を暴力的に恫喝した、という出来事が起きたんだ。」
シゲ「それを詳しく説明してくれないか?」
私「先ず、そのような事態になった原因は、私の友人達が、〈セクト〉に、自分達の要求を受け入れて欲しいと強く言ったことにあるらしい。本当に対等な共闘なら、意見を言ってもいいだろう、と。でもそれが、〈セクト〉の人達の逆鱗に触れたんだね…。」
シゲ「それで、どうなった?」
私「ノンセクトの友人達は、第一学生会館の一室、〈セクト〉が自分達のテリトリーとしていた場所に呼び出しを喰い、〈セクト〉を実質的に支配している中年男──勿論、学籍などはないよ──から大声で怒鳴られ、びんたされ、自己批判を強要された。」
シゲ「つまり、『対等な共闘関係』などは始めからなかったわけで、ヒエラルキーの存在は明瞭だったわけだね。それを無視したために、君の友人達は災厄に遭った…。」
私「そう言えると思うよ。」
シゲ「それで、どうなった?」
私「〈セクト〉から比較的ノンセクトへのコミットが薄いと思われていた私が、私の友人達を代表する、ということになったよ。つまり、欺瞞的だが、共闘という見掛けだけは維持する。しかし、実質的には、命令-服従という関係になった、ということだ。」
シゲ「なるほどね…。君は学生運動の当事者ではなかったが、学生運動の内実を垣間見る機会に恵まれたわけだ。その経験について、もう少し踏み込んで話してくれないか?」
私「私は、そこに多くの問題点を見出したよ。先ず、これは〈セクト〉でもノンセクトでも同じだったけど、知的な批判の自由がまるでなかったね。教条主義的で、独善的で、マッチョで…。私は、それに対して、自分は自由主義者だと言ったりして、〈セクト〉の人達から糾弾されたりしたことがある。それから是非言っておきたいのは、リーダーへの感情転移による人格的支配、個々人のプライバシーといったものをプチブル的なものとして認めない狭量さといったものが、運動に関わる人達の人生上の破滅を齎していた、ということだ。」
シゲ「その『破滅』というのを、もっと詳しく説明して欲しいな。」
私「例えば、私の大学での唯一の親友といっていい人がいた。かれは、ノンセクトの活動家だったが、『新学館闘争』での躓きを契機に、重い鬱病になった。そしてそれから逃げるかのように、麻薬に溺れ、廃人同様になってしまった。どうしてそんなことになったかというと、かれがノンセクトのリーダーに人格的に依存・服従し、自己の内面も含めて全てを運動に捧げていたからなんだ…。だから、運動からの離脱が、人格的荒廃を帰結することにもなったんだろうと思う。」
シゲ「そういった現実に触れて、君はどう考えた?」
私「このような運動の作り方では駄目だ、と強く感じたね。個々人の自由や批判を許さず、プライバシーもない、全人格的な支配と服従の関係ではいけない、と思ったよ。」
シゲ「つまり、運動論・組織論において、〈セクト〉であれノンセクトであれ、問題がある、と考えたわけだね?」
私「その通り。〈セクト〉について言えば、私は、『内ゲバ』で厖大な死傷者を出してきたことについて、公開的に自己批判し謝罪することが必要だとずっと考えてきた。日本の風土が非政治的である理由は、恐らく複数あるだろうが、その主要な一つが運動の陥った暴力主義だということは、先ず間違いがないからね。」
シゲ「ノンセクトの人々は、組織としての暴力行使や殺戮には手を染めていなかったわけだね。でも、その組織や運動の作り方に問題がある、と君は感じていたわけだ。」
私「そうだね。」
シゲ「で、そのような経験をした君は、それからどうした?」
私「私は、大学内部での運動というものに、大いに幻滅し、限界を感じたよ。それで、確か大学2年の頃だったと思うけれど、OCCUR(動くゲイとレズビアンの会)という組織に入った。」
シゲ「いわば、学生運動を離れて市民運動に取り組んだわけだね。その時の心境は?」
私「根性論的というか、体育会的というか、そういう精神主義学生運動の世界には蔓延していた。私は、それを拒否し、何か具体的な課題に取り組んで実際の成果を出す運動をしたい、と思ったんだ。」
シゲ「君はその運動を続けたのかい?」
私「いや、2年間ほどで辞めてしまったよ。」
シゲ「それはどうして?」
私「人間関係のこじれと、一種企業的なルーティンで回っている組織のあり方への疑問からだ。組織に民主主義が欠けている、と漠然と感じてはいたが、そのことを明確に言葉にすることは当時は出来なかった。また、やはり、批判する知性というか、言論の自由というか、そういったものが欠けているようにも感じていたんだ。」
シゲ「もう少し説明して欲しいな…。当時君は、どういう状況にいて、どういう不満を抱いたのだろう?」
私「OCCUR(動くゲイとレズビアンの会)は、府中青年の家裁判の闘争を闘っていたけれども、当時、学問の世界に本格的に参入しようとしていた。それで、私達は、『ゲイ・スタディーズ』として結実するような議論を、日々積み重ねていたんだ。キース・ヴィンセントという批評家が指導的な立場にいてね。後に『クィアスタディーズ』などを書く河口和也さんなどもいて、『コミュニティ』概念などを提起していたのを覚えている。」
シゲ「つまり、実践から遊離しないかたちでの理論構築が沸騰していた時期に巡り合った、ということだね。それはそれで、幸福なことのように思えるけれども、どうして君はその運動から脱落してしまったんだろう?」
私「どうしてOCCUR(動くゲイとレズビアンの会)を辞めてしまったのか、実を言うと自分でもいまだに良く分からないんだ…。ヒステリーというか、一種精神病的な異常な状態だったことは、間違いがない。私は錯乱してしまったんだ…。」
シゲ「それはどうしてだろう? 君はどうして自分で自分を見失うような事態になってしまったのかな?」
私「多分、私は〈同性愛者としてのアイデンティティ〉を獲得することが出来なかったんだ。私が、理論の軽視というか知の抑圧というか、そういうことを感じた理由として、次のような経験がある。OCCUR(動くゲイとレズビアンの会)の中心人物と話をしていて、その人が、自分達は建前は『戦略的本質主義』──これはスピヴァグの用語で、社会構成主義的な認識を前提にしつつも、『敢えて』女性や同性愛者等々の『本質的』アイデンティティを前面に出す戦略のことを言う──だけれども、本音は『戦略的構成主義』だ、つまり、建前としては構成主義だけれども、本音を言えば本質主義だ、と思っている、という意味のことを言ったのを聞いた、ということがある。」
シゲ「つまり利用主義的というか、大学の中で『可視化』するために、理論の言説を借りるけれども、実際には理論的営為や知を軽視し、実践重視を口実に従属化させている、と感じた、というわけだね?」
私「そうだ。それと、『性的指向sexual orientation』という概念のことがある…。これは、OCCUR(動くゲイとレズビアンの会)が『発明』した概念なんだ。その意味内容は、同性愛/異性愛であることは、本人の自由意志で決められる/変えられることではない、ということだ。『すこたん企画』などの啓蒙的な機関は、同性愛者への差別に反対する根拠として、この概念に言及している。つまり、自由意志で変えられないものだから、それを理由に差別するのはおかしい、という論理だ。しかし、私はそれに疑問を持った。私はその概念を実感することも、信じることも、理論的に承認することも出来なかったんだ。私がOCCUR(動くゲイとレズビアンの会)に参加した理由は、『自分が同性愛者かどうか知りたい、同性愛を“経験”したい』ということだった。そして実際に、私はゲイ雑誌を買い、出会いを求めて、同性愛を“経験”したのだけれど、それが私にはパニックを引き起こさせた…。」
シゲ「どうして君はパニックに陥ったんだろう?」
私「私が同性愛に興味を持ったのは、思春期の頃の同性への憧れと、大島弓子竹宮恵子萩尾望都魔夜峰央らの少女漫画──『風と木の詩』、『トーマの心臓』、『パタリロ』等──を読んだことがきっかけだった。少年へのロマンティックな恋慕の情を持っていたんだ。ところが、私が“経験”した『現実の』同性愛は、少女漫画の表象とは似ても似つかないものだった。私が初めて寝た相手は、トラックの運転手だった…。だから私の夢想としてあった同性愛と、現実の同性愛の経験の落差からショックを受けて、精神的に錯乱してしまった、ということだと思うんだ。」
シゲ「それで、現時点で、君は自分自身のことを同性愛者だと思う?」
私「正直なところ、全く分からないよ。同性であれ異性であれ、美しい人に惹かれるのは確かだけれども、自分がゲイであるとかないとか言い切ることは出来ないね。」
シゲ「話が当初のテーマから大分逸れてしまったようだけれども。先ず、私達は、『コミュニズム』について話をすることにしたのだった。」
私「そうだったね。」
シゲ「それで、君なりの『コミュニズム』の捉え方をはっきりさせるために、柄谷行人という批評家からの影響について語る必要がある、ということになった。でも、これまでのところ、柄谷行人のことは語っていないね。」
私「そうだね。でも、大学生の頃から、私は柄谷行人を読んでいた。私にとってかれは、特異な漱石論・マクベス論の書き手として映った。かれの著書の題名にあるが、『意味という病』と闘う『畏怖する人間』、これが私が柄谷行人に関して抱いていたイメージだ。」
シゲ「柄谷行人マルクス論=『マルクスその可能性の中心』も書いているけれども?」
私「確かにそうだけれども、当時は私はその意義をよく理解できなかった。むしろ漱石マクベスを論じて、人間存在の自然性について鋭く考察する理論家という印象が強かったね。私は、高校生の頃など、元々吉本隆明をよく読み、影響されていたんだよ。でも、吉本は、『マス・イメージ論』以降、『転向』を明言し、消費社会のイデオローグになっていく。そういう状況にあって、柄谷行人の姿勢は批評的=闘争的なテンションを維持しているように見えたんだ。」
シゲ「君が大学生の頃の、柄谷行人の思い出を話してくれないか?」
私「私は文学研究会というサークルに入っていて、柄谷行人を学園祭に招いていた。確かフロイトについて講演したのを聴いた記憶があるよ。それから、OCCUR(動くゲイとレズビアンの会)の裁判にも来た。フランス革命の理念、自由・平等・友愛について延々と語っていたのを思い出すよ。キース・ヴィンセントは柄谷行人の生徒で、『批評空間』にも子規や大江などを論じた文章を寄せていたんだよね…。私は、半ば冗談で、『革命的マルクス主義』ならぬ、『柄谷的マルクス主義』を標榜したい、と言っていたよ。それは、〈セクト〉の公式の教義である『革命的マルクス主義』がドグマだから、それに縛られない知的に自由な左翼思想を欲していた、という意味だけれども。」
シゲ「君が『コミュニスト』と自称するに到った経緯において、柄谷行人の影響はどこにあったの?」
私「確か2000年だったと思うけれども、柄谷行人がNAMという新しい左翼の運動を始めたんだ。私は、それに既成の運動の宿痾である組織論的欠陥を乗り越える契機を見て、それに参加した。」
シゲ「著作でいえば、『可能なるコミュニズム』『NAM原理』『トランスクリティーク』に結実するアソシエーショニズムの立場だよね。君はそれに共鳴したの?」
私「大いにね。例えば、NAMは個人主義的だったけれども、そのことに私はそれまでの左翼運動にない新しさを見ていた。これまでの運動は、実践や組織を口実に、個人の発意を押し殺してしまうものが多かったと思うんだ。でも、NAMは、自立した個人のアソシエーションを説いた。」
シゲ「NAMは『契約』ということを強調していたよね。情緒的な共同体ではなく、具体的な事柄に関して『契約』した者らの間の、或る意味ドライで開かれた関係性を言わんとしていたわけだ。」
私「そうだね。」
シゲ「でも、周知のように、NAMは何ら成果を生まないまま自壊してしまった。──このことについて、君はどう思っている?」
私「NAMの理論の決定的な誤謬は多分二つある。一つは、『交換の形而上学』と私が呼ぶものだ。実際に、アソシエーショニズムを説いている三部作を読めば分かるけれど、柄谷行人はそこで、人間の営みの一切を『交換』に還元している。そこから、『交換』を組み替えLETSで置き換えれば資本と国家が揚棄できる、という極めて甘い見通しが生まれた。もう一つは、『プロレタリアート』の規定の狭さだ。柄谷行人の意見では、マルクス的な意味での『二重の意味で自由な』プロレタリアートとは従来中産階級と呼ばれていた層、具体的にはサラリーマンである、ということだった。そして、そのような或る程度金のある層から対抗運動を作っていこう、というのがかれの目論見だった。しかし、その見通しは現実によって裏切られた。」
シゲ「というと?」
私「NAMに集まった者の大多数が、例えばすが秀実さんなどがジャンクと呼んでいるような層、つまり非正規労働や不安定雇用に従事していたり、学生や学生崩れであったりする人達で、サラリーマンはほとんどいなかった、或いはいたとしても活動に参加する時間がなかった、ということなんだ。」
シゲ「君は今、『プレカリアート』(不安定層)の問題に積極的に取り組んでいるよね? それは、サラリーマン中心主義のNAMの路線への自己批判から来ているのかな?」
私「そう言ってもいい。新自由主義と言われる現在の資本主義では、大多数の者が不安定な生を強いられているわけで、その現実を見なくては運動など始めることはできない。幾ら『資本論』にどう書いてあるかということを議論したってね、社会運動にはならないと思ったんだよ。」
シゲ「或る意味、柄谷行人のアソシエーショニズム三部作は、マルクス原理主義というか、『資本論』の論理を全面肯定したうえで、そこから理論と実践を引き出すものだよね。そのマルクス原理主義──換言すれば、『資本論』の論理から現実を演繹するような思考──を、君はやめたわけだね?」
私「その通り。そして、私は自分のルーツに回帰した。つまり、フェリックス・ガタリの思想に回帰したんだよ。」
シゲ「というのはつまり、特異性=かけがえのなさの解放こそがコミュニズムである、という考え、及び集団的主観性の創出を重視する立場に戻ったということだね。」
私「マイノリティの運動に対抗運動を見る『千のプラトー』を肯定する立場に戻った、ということかもしれないね。その際、私は『生成』を重視している。固定した・凝固した『アイデンティティ』或いは『本質』に基くのではなく、倫理的で政治的な『生成』を通じて他の者に成っていくということに強調点があるわけだ。」
シゲ「今君は、幾つもの運動体に関与しているよね? フリーター全般労働組合とか、全国「精神病」者集団とか、Queers Associationとか…。それは、君なりの理解での、『マイノリティへの生成』に基く社会運動だということだろうか?」
私「そう言っていいと思うよ。私にとっては、特異性と多数性の解放こそがコミュニズムなんだ。それと、非資本家的な生活の知恵や技術を共有することがね。…自殺したジル・ドゥルーズの未完の書物は、『マルクスの偉大さ』となる予定だった。その内容について、ネグリが以下のように伝えている。『コミュニズム、それはコミューンに生成する多数者=多数性である。といっても、それはひとつの前提や、ひとつの観念、何か隠された形而上学的なもの、あるいはひとつの統一性といったものがそこにあるということを意味しない。それは、一なるものに逆らう共同であり、極限にまでおし進められた反プラトン主義である。それは、思想の発展のなかで早くから登場していた考え、つまりユートピアが必然的に統一性を構成したり、権力の統一と主権の問題を解決するといった類のコミュニズムの考えの裏返しでさえある。ここでは、共同を構成するのは多数者=多数性である。ドゥルーズの未完の書、『マルクスの偉大さ』で構築されていたコミュニズムの概念とは、私の理解によればこのことなのである。』私は、このコミュニズムの概念に同意するよ。そうした意味で、私はコミュニストなんだ。」
シゲ「この問題は、議論しても尽きないね。今日は随分話した。続きは後日にしよう。」
私「異論はないよ。では、また!」