新エレホン-1

或る夏の昼下がり、私は行きつけのカフェで友人の批評家・シゲと出会った。私達はカフェの隅に腰掛け、私達が最も興味を持っていること=「もうひとつの世界は可能か?」ということについて、対話を始めた。

私「私達の住むこの社会では、想像力が枯渇している。人々には、『別の』生き方を想像し実現していく力がないように見えるんだ。私は、想像力を回復することこそ、今話し合っている『もうひとつの世界』の可能性の必要条件だと思うよ。」
シゲ「確かにそうだね。私のような仕事をしていても思うのは、想像力が型に嵌められ、そこから抜け出せない、といったことなんだ。それと、政治的無関心だね。ダグラス・ラミスが書いていたように、通行人は、エロエロティッシュなら受け取るくせに、政治的なチラシは怖いものを忌避するような態度で避ける。どうしてそんなことになっているのか、ということを、一度きちんと考えていかないといけないと思うよ。」
私「私の意見では、70年代以降に起きた、新左翼諸党派の内ゲバ連合赤軍事件、あさま山荘事件東アジア反日武装戦線などといった暴力の実践が、多くの市民に対して政治、特に左翼の政治は怖いといった印象を植え付けてしまい、政治参加の可能性を狭めたと思うんだ。でも、もう時代は変わったし、旧ソ連や東欧などかつての社会主義圏も崩壊している。シニシズムに陥っても意味がないと思うよ。」
シゲ「最近は新自由主義と言うらしいけど、資本主義は物凄い勢いで私達の生活を覆い尽くしているし、勝ち組・負け組とか適者生存などといった野蛮なスローガンに異論を唱えることすらできない雰囲気があるよね。でも、資本家的市場に委ねれば全てうまくいく、という考えはごく最近のもので、異端的な考えなんだ。自由主義の祖と言われるアダム・スミスは、経済学者であるとともに、同感(シンパシー)を人間のあり方の根底に据える道徳哲学者でもあった。それに、近代経済学の父達の多くも、一種の社会主義や穏健な改革路線を支持していたのであって、市場原理主義固執していたわけではないんだ。その意味で、新自由主義は新しいとも言えるけれども、その言説の内容は、100年前に回帰したのか? と耳を疑うほど古臭いイデオロギーでしょう? そうしたものに人が惹かれる仕組み、さらには多くの人達の生活にダイレクトに関わる政策決定にそうしたイデオロギーが反映させられる仕組みを暴いていかないといけないね。」
私「でも、どうすれば現状の生活様式に抵抗できるのだろう? 資本・国家・ネーションの外部は無いよね。その中に生きている、という条件の下、可能な抵抗というか、非資本家的生活の知恵を発明していかないといけないと思うんだけれど…。」
シゲ「晩年のマルクスが協同組合の意義に注目していたのは、『マルクスとアソシエーション』という本以来、注目されてきているよね。それに、少し古くて入手が難しい本だけれど、『資本論の誤訳』という面白い本もあるんだ。それは会社という形態に注目し、そのあり方を組み替えることが革命なのだと説く、斬新な視点のものだ。」
私「とはいえ、協同組合にも問題は多いよね。先ず、大手スーパーなどと市場で競争しなければならないため、競争に負けて没落するか、或いは自ら資本家的企業に似たものになってしまう、という問題があるよね。それに、低賃金で働く労働者の問題もある。また、労働者協同組合は、日本では法制化がまだだ。それを求める動きも活発にあるけれどもね。」
シゲ「その通り。多数の協同組合の連合体によって、政治的国家を克服し、社会的国家へと漸進的に変えていこうという意見もあるけれど、実際にはなかなか難しいだろうと思うよ。一つ言うと、『経営』ということには特殊な才能が必要で、単なる民主主義ではうまくいかない、という問題がある。とはいえ、ここで民主主義を諦めてしまうべきなのかどうか。私達の『もうひとつの世界』を求める動機は、先ず、経済や日常生活の領域でこそ民主主義を、〈声〉を挙げる権利を、ということだったよね。」
私「そうだね。単に選挙で一票を投じる権利だけが、民主主義なのか。例えば、工場の門をくぐると、もう民主主義はない、などと言われているけれども、そのような状況を変えたいというのが、私達の共通した意見だ。生活や日常の場でこそ、民主主義が欲しいんだ。企業で、家庭で、街頭で、ラディカルな民主主義を私達は求める。そのためには、既成の会社や家族のあり方を組み替え、街頭表現を民衆の手に取り戻す必要があるんだ。」
シゲ「全く同意見だ。働く場や消費の場、再生産の場でこそ、民主主義は必要なんだ。何故なら、そこでこそ私達は生きているわけだから。今後民主主義は、ネグリ=ハートが言ったように、『代表するのではなく構成する』ものになるだろう。とはいえ、それが制度的にどのような形態を取り得るかということは、まだ分からないけれども…。」
私「民主主義は過去の遺物ではなく、現在進行中のプロジェクトだ、ということだね。形式的には平等が保障されていても、現実には格差社会が進行している。この現実をどう捉え、取り組んでいけばいいか? という問題があるよね。私は現状を批判するために、フリーター全般労働組合というグループに入ったんだけれども…。」
シゲ「職場や家庭、街頭で民主主義や表現の自由を取り戻すことは大切なことだと思うよ。現在、支配的な現実は、政治的介入の可能性を排除したところに成り立っている。しかし現実には、多様な力関係があるし、そこに政治もあるはずなんだ。」
私「今日最後に話したいのは、LETSという試みについてなんだ。それは地域通貨の一種で、各人が口座を持って自由に貨幣を発行する。これこそ、口先だけの人民主権ではなく、真の人民主権だと言われていたものなんだ。ただ、LETSの実験については、それを提唱していた柄谷行人という批評家が転向して悪罵を浴びせかけ、私を含めそれに追従した者らが、すっかりその名誉を傷つけてしまったがね…。私が今こうして熱心にLETSについて話すのも、かつて自分自身が傷つけた名誉を回復したいという動機があるんだ。」
シゲ「君にはファナティックなところがあって、危なっかしいと感じるよ。思い込みで行動し、自分を抑えられない時があるだろう? それは、後になっていろいろ言い訳したところで、取り返しがつかないものなんだ。信頼関係というのは、一度崩れると、再建が難しい。君にも骨身に沁みてよく分かっていると思うけれど…。」
私「シゲの言う通りだね。私は今は、ある程度冷静だと思うんだ。でも、かつては確かに酷かった。不正行為に手を染め、LETSを傷付け、破壊しようとした…。それは、今でも私にとっては悪夢だよ。逃れようもなく、自分自身がやったことだからね。そして今は、そのことに責任を負う主体として、償いの意味も込めて発言したいと思うんだ。」
シゲ「君の気持ちは分かる。日本初のオンラインLETSのプロジェクト、それが君達が奔走していたQプロジェクトだったよね。オンラインLETSを実現することで、ネットコミュニティ通貨を流通させられると信じていた。ところが、ソフトの操作が煩雑だったり、実名確認の際の個人情報提供が厭だという人達がいたりと、なかなか大変だったよね。」
私「そうなんだ。初めての試みだから、避けられない混乱でもあったと思うけれど…。多くの人達がボランティアで頑張った。Qに流通する通貨としての威厳を与えようと、必死だったわけだ。でも、内ゲバめいた紛争の後、Q会員は激減している。最低1,000人という目標には、まだ遠く届かない。そのことには私自身の責任も大きいので、本当に反省しているんだ。」
シゲ「君の意見だと、LETSでは、1)技能交換、2)相互扶助、3)非資本家的でDIYのモノ・サービス、技術等の交換が可能なのではないか、と言うよね。つまり、LETSは『もうひとつの世界』で流通する通貨というわけだ。それは資本家的経済の内部にありつつも、部分的にそれを揚棄している、と言って言い過ぎならば、部分的に対抗している。」
私「そう。で、私は、「贈与」の意味を再考すべきだと思うんだ。柄谷行人が共同体に属すると分類した「贈与」を閉鎖的な共同体──家や村──の外部に開いていくことはできないか。例えば、外国人、野宿者との出会いと歓待の倫理を創ることができないか、と私は夢想するんだ。日本語が読めない外国人やパソコンを持たない野宿者には、確かにオンラインLETSでの取引はできない。だけど、だからといってかれらを排除してしまうのか、かれらの生活も向上するようなかたちでLETSを構想するのか、という問いが残るように思うんだ。」
シゲ「君が君自身の運営するLETS、metaを構想したきっかけは、イラク戦争反対のデモで渋谷の宮下公園に行った時、多数の野宿者の姿を目撃したことだったよね。」
私「そう。その時、この人達の見る夢と私達の見る夢は同じものだろうか、それとも違うのだろうか、と自分自身に問うた。その結果、metaを設立するにいたったんだ。」
シゲ「現実には、野宿者や外国人を含む生活困窮者や弱者がLETSを使っていくというのは難しいよね。どうしても生活保護など、社会保障に頼らないとやっていけない面がある。」
私「そのことは全く否定しないし、その現実を見ないのは、愚かなことだと思うよ。ただ、LETSでは、どんな人でも提供できる技術を持っているはずだと想定するんだよね。そのことを、私は『限界技術』という名前で呼んだことがある。プロの技術ではない、故に市場にのらない技術。そういった多様なマイナー技術を交換する媒体にLETSがなるとしたら、素晴らしいことじゃないか。」
シゲ「それには私も同意するよ。LETSは私達の潜在性に働き掛け、能力を開発していくんだね。プロでなくても、これくらいのことだったらできるかもしれない、というタイプの技術を発掘し、具体化し、交換していくわけだ。つまり、影の部分に光を当てるわけだよね。」
私「そう。私は、LETSが爆発的に広がって、資本主義経済を揚棄するに至る、とはあまり思っていないんだ。どこの地域通貨も、細々とやっているのが現状だしね。でも、それは全くの無力、無意味ということではない。LETSでできること、できないことをもう一度真剣に考えてみるべきだと思うんだ。」
シゲ「『もうひとつの世界』を想像/創造するための、『もうひとつの通貨』がLETSということだね。今日はもう遅い。今日の対話は、これくらいにしておこうか。また後日、会おう。」
私「了解。では、また!」