精神科に通院

忘れないうちに書いておこう。林アンジュさんのセッションを受ける前、月曜日、私は「高根台メンタルクリニック」を受診した。医者の無力と私自身の無力を痛感しながら、でもどうすることも出来なかった。解雇されたことを伝えたが、医者は働く能力はあるのだと繰り返すばかりだった。私は、自分に<働く能力>があるとは思わない。これまでの会社でも、緩い・ぬるい形での勤務が認められてきたのは、責任のないフリーターだったからだ。私は、全く非常識な仕方で労働していた。厭々ながら、サボタージュしながら、時を稼ぎながら、おかしな風に労働していた。こんな勤務ぶりでは、次はないだろう、と思わせるに十分だった。私はそして、生きていたいともあまり思わない。生きているから生きている(事実問題として)、という受動的な立場だ。恵まれているのに贅沢ではないのか? お前の病気は<贅沢病>ではないのか? という問いには、そうかもしれない、だが、それ以外にどうあればいいのか分からない、と答えるしかない。

私が自分のことを屑・ゴミだと言ったことに、否定的な反応があったが、私の自虐は他者が私に加えた誹謗中傷を内面化したものに過ぎない。実際私のことを屑とかゴミとか言っている人がいるわけで、私はその人の判断を是認しているに過ぎない。私は、オカマQueerと嘲られた者がそれを逆手に取って開き直るように、屑Junkと罵られた自分を逆手に取って、この社会総体に捨身の攻撃を仕掛けているのだ。私は明瞭に<反社会的>だ。私は、現存の資本主義社会とその秩序を否定する。だが勿論、そんな否定は抽象的な、主観的なものでしかないのではないか、と反駁することは出来る。私は、私の否定を、具体的な、共同主観的なものに高めなければならない、と思う。フリースペース構想も、その一環である。