私の出したい本

●タイトル:『死屍累々のサヴァイヴァル』
●サブタイトル:ゾンビたちのレイヴ・パーティ
●著者:絓秀実・酒井隆史
●定価:1,500円
●判型:A4
●ページ数:200ページ
●内容:内的には「労働のエートス」を崩壊させており(絓秀実『JUNKの逆襲』)、資本と国家から見ると「排除」されるべき「使い道のない過剰人口」(酒井隆史)としてあるJUNK。かれら=私達の存在は、労働力商品をそれほど必要としなくなってきている現段階の資本主義の限界を記しづけている。JUNK──具体的に言えば、フリーター・ニート・メンヘラーなど──がこの社会において生き残っていくためにはどのような方途があるのか。また、かれら=私達の生き残りがこの社会(グローバルな資本主義段階にあるといわれる)の変革やこの社会の権力諸関係への抵抗を形作ることができるのか、否か、についても問いたい。フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』で述べたように、私達には、自然環境のエコロジーとともに、それのみならず、社会のエコロジー、精神のエコロジーも必要である。私達は、如何にして、新たな闘争的主観性を構築していくことが出来るのか。それは都市のJUNKたちの反乱・蜂起によってなのか、田舎志向の農的暮らしの側に革命的潜勢力があると言うべきなのか。福本和夫は、獄中で記したメモで、「窮通の理」を説いた(『福本和夫初期著作集』)。かれら=私達「窮した」者らが、生き残りを賭けて闘う時、そこに革命的生成の可能性が開かれはしないか。かれら=私達は単に「放置する権力」の前に放置され死を待つよりほかない存在なのか、追い詰められた逆境の中から創造性と闘争を蘇らせられる力を持つ存在なのか。生政治を問うことで、私達自身の存在の只中から、変革=革命を見出していきたい。それは、JUNKのみならず(それと重なる部分は多々あろうが)QUEERなどの多数多様なマイノリティの連合・自立運動としてもある。かれら=私達にとって生きることは闘争であり、必然的に「できちゃった革命」を志向する。かれら=私達は先ず、サボタージュによって闘争する。しかし、消極的なサボタージュに留まらず、能動的に場や出来事の構築にも向かう。〈愛〉が〈共〉になる(ネグリ=ハート『マルチチュード』)場を創り広げていくことで、現存社会の不寛容や排外主義と闘う。かれら=私達は「オープン・ミックス・パブリック」(ひびのまこと)を基調とする新しい政治を、そして「贈与」を基本とする新しい経済を、さらには「生成」に基く新たな文化を創出する。二十一世紀の、新たなミレニアムの、スローな革命の第一歩は、私達の存在と生活そのものに根ざしている。