われら貧者たち

私は再建される(!?)NAMにせよ、現存するQにせよ、金のある層、余裕のある層からアソシエーション運動なりLETSなりを広げていこうとするのであれば、そのような路線には一貫して反対である。「ルンペン優位」ということではないし、何が優位ということでもないのだが、資本主義の現実の動きのなかで「負け組」の生を否応無くされている「われら貧者たち」の問いが入らないのであれば、そんな運動には意味がない、と思う。
私はNAMの原理が掲げていた、「自立した個人」という見てくれの良い標語自体に批判的だ。今の新自由主義的な社会は、「自立」を、それが出来ない人たち(野宿者や障がい者)にも暴力的に強制してくるのであるし、運動の単位を「個人」に求める、そして倫理は個人にしかないなどと個人を特権視するのも問題だと思う。(むしろ、「群れ」の倫理=習慣態の変革=組み替えを志向すべきではないのか。)