「独房Q」宛てのメール

西原さん、添付ファイルありがとうございました。

私は「Qは終わった」の打撃がいまだ著しいようで、総括を書こうとしても意欲が減退してちっとも進まずにいます。

「柳原史観」(http://after-that.net/lets_think-2_0_1/pub/siryo/1229.html)については、その事実誤認を指摘できるように思います。
杉原さんが早い段階で仰っていたように(http://after-that.net/lets_think-2_0_1/pub/siryo/1354.html)、lets_think MLの存在とamour-qのQ改革の提案の挫折は関係がないのです。

NAM退会宣言以後(NAM抜本的改革委員会)における、柄谷行人さんへのNAM会員の帰依、LかQかの二者択一の強要、紛争への厭悪感などがNAM会員のQ-hive委員の「大量退職」(「超規約的措置」による)の原因です。確かに非NAM会員を含めQ会員をNAMが政治的に引き回していたといわれても仕方ない状況だったといえると思います。

とはいえ「鎌田史観」(http://www.q-project.org/q_kyoto.html)もまた一面的というほかないと思います。
ebank寄生論はともかく宮地専従制も肯定する、

e-bank案による実務作業の簡素化と、経験豊富な社会人の宮地氏を実務担当の専従者(これは、週一回の実務程度は周囲に当たり散らさず継続的に実行する労働力の確保を意味する)に起用する方向性は、その限りで全くまちがっていなかった。

という記述などは、特に議論になるべきところだと思います。
会員を減らし、完全にボランティアになった現在のQにおいてのみならず、会員が300人いた当時のQにあっても、多くの人(西部さん以外のQ-hive委員)が指摘していたように、専従制の提案は非現実的だったというほかないのでないか、と思います。

ともあれ、自分の暫定的な総括として、短いですが、以下を公表しました。

「Q-NAM問題-1」
http://associationists.fc2web.com/sets0008.html

ブログでも断続的にQ-NAM問題に触れています。よろしければご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/femmelets/

「独房Q過去ログ公開問題」、「「一斉同報」メール問題」の事実経過の報告と謝罪はQ管理運営委員会宛て及び「独房Q」ML等でやりました。

KさんはQ-NAM問題を「左翼の内ゲバ」と言っていましたが、特に私の暴力的言動に関しては、そういわれても仕方ない面があると思います。西部さんは「左翼暴力主義」といっていました。私はlets_think MLで怒りに我を忘れ盲目になっていたとはいえ、当事者らに自己批判(謝罪)し、責任を取らないといけないと思いました。

杉原さんが「ルサンチマンと党派的思考」を問題にしていたけれど、今にして私はそれを自分の問題として受け止めています。私はルサンチマンに駆られていたし、NAMという党派性に囚われていました。愚かなことだったとは思いますが、やってしまったことは取り返しがつかない。

自分でも分からないのは、03年当時どうして西部さんをあれほどに憎んだのか? ということです。柄谷さんの発言に相当影響されていたことは自覚していますが、それにしてもひどすぎる。人間の憎悪というのは、本当に分からないものだというのが凡庸な感想です。

西部さんらとあそこまで争わなければならない理由はなかった。私は発狂していたというほかありません。

混乱の最中、MLでは頻繁にQ管の代表者サイドと登記人らとの
感情のもつれを取り沙汰されましたが、Q騒動の問題は登記人らによる
「私的な感情のもつれ」ではなく「公的な運営上の諸問題」であったことは
強調しておきたいです。

問題の原点であるこのことがあまり理解されず最悪なことに
NAMとの紛争にまで発展してしまったことは非常に残念です。

しかし、当時そもそも意見集約が困難なML――特に当時は互いの
感情を煽り合うことに貢献的に機能していた――で冷静な議論が
できたとは思いません。当時から私は「長い冷却期間が必要」と
考えていました。もちろん私自身の頭をクールダウンさせる必要も
ありましたし、なによりも疲労困憊していました。

攝津さんのQ紛争の総括を読めば私自身の考えの整理もつきそうです。
私にはQ騒動発端の当事者である登記人の一人としてQ管の運営上の
問題についてつまびらかにする責任はあると考えています。

いつかは総括しなければいけないと考えていましたから、比較的多くの
Q関連の文書を保存しています。お手元にないものは探しますので
必要な方はお気軽にご用命ください。

「公的な運営上の諸問題」とは何ですか?
私は今回の総括でそれにあまり触れてはいませんが、当時のQの過去ログを読むかぎり、

  1. 更新処理
  2. 登記業務
  3. 宮地専従制
  4. ebank寄生論

あたりが運営上の諸問題としてあげられていた(そしてQにおいてそれが問題であることは後のlets_think MLメンバーである木場さんや逵さんにも共有されていた)という認識です。

「京都会議」以降、議論は迷走を続けます。その辺りについて、もっと分析したかったのですが、集中力が足りませんでした。

私見ですが、柄谷さんのQ放置宣言、QかLかの二者択一の強要がなければ、Q改革は成功し、西部さんをはじめとする方々はQから退いていただろうと思います。それを不可能にしたのはNAMの側の事情であり、NAM会員個々の弱さ(私自身も含めて)であったろうと考えます。

私には登記労働の現実はよく分かりませんから、西原さんが登記人としての総括を出されることに賛成します。私もそれを読んで勉強しなければと思っています。

ところで今のQでは三木さんお一人が登記人で続いているのは何故か? といえば勿論新規登録者が少ないからだろうと推測します。Qは、本人確認書類の問題があるかぎり、年会費・入会費を無料にしていても、拡大は難しいだろうと考えます。
CCSPのような、より緩やかなプラットフォームでさえ拡大しないのだから、LETS、より広くいって地域通貨にはどこかしら問題があるのです。Lの提案は、地域通貨の閉塞現状を打破しようとのものでしたが、そちらもまたうまくいってはいないようです。
松本治さんらは彼らが「リクエストメイド」と呼ぶ運動論のほうに資本主義への対抗を見出しているし、杉原さんはLETSそのものに批判的であるとのことです。地域通貨が資本主義への対抗運動になり得るという幻想そのものが終わったのでしょうか。それとも、西部さんがいうように、今後十数年いやそれ以上を掛けて、Qs経済圏が構築され得るのでしょうか。

私は「Qは終わった」以降、多数のNAM会員がQ、というかLETS一般を「ママゴト」「オモチャ」とこぞって否定するようになったことを残念に思っています。LETSがママゴトであった、だから駄目だというのであれば、早稲田奉仕園でのアミダクジが既にママゴトであったというほかありません。NAMそれ自体が「ママゴト」だったのでしょうか。NAMの問題性とは、常に現実政治から目を逸らさせる「ママゴト」に終始した点にあったのでしょうか。

自分でもよく分からなくなったので、一旦送ります。どなたであれ、発言をお願いします。