【レポート】テロ特措法違憲第1回控訴審

みなさんこんばんは、

  http://www.freeml.com/message/chance-action@freeml.com/0005730

でご案内した「テロ特措法違憲第1回控訴審」に行ってきました。

 これまでは、イラン人ゲイ難民シェイダさんの在留権裁判にしか
行ったことがなく、新たな裁判の経験でした。

○ チームS
  http://www.sukotan.com/shayda/shayda_top.html
○ 果てしなき移民たちのために
  http://www.kt.rim.or.jp/%7Epinktri/afghan/index.html

 傍聴席は36席。それ以上の人が並んだ場合は抽籤、という
ことにでしたが、わたしが一番先に高裁前に付いて、次に
頭にイラク戦争NOのバッチをつけた帽子をかぶった、もう
40年も天皇制に反対して裁判闘争を続けてきたという気骨ある
おじいさん、次はいろいろな運動をしてきたという中年の女性
でした。

 他の方々がいらっしゃるのを待つ間、このおふたりとは
比較的突っ込んだお話が出来、こちらから連絡先をお渡しし、
関組長がやっている署名にもサインしていただくことが
出来ました。

○ テロ(アフガン)特措法とイラク特措法の廃止法の制定を求める
ことに関する請願署名
  http://www.sekigumi.org/Taxpayers-Network-Japan/autumn-issue.html

 抽籤が近づく10時半頃になると続々と人が詰めかけ、
抽籤にはならないだろうという予測を超えて、抽籤になりました。
籤引きというのを体験する機会というのは少ないわけですが、
確率は低いにせよ外れ籤を引く(=傍聴券を貰えない可能性がある)
ということには緊張しました。

 幸い、当籤し、最前列で傍聴しました。例の、2番目にきた
気骨あるおじいさんは、「脱帽」(←裁判中は帽子を脱がされる)
にも抵抗していましたが、原告側の説得もあり、イラク戦争NO
バッチを胸につけ、帽子は脱ぐということになりました。

 裁判が始まったのですが、とても白熱した内容でした。

 明らかに裁判官らは逃げようとしている、門前払いしようと
しているという姿勢が見え見えでした。門前払いして、今日のこの
裁判だけで結審させようという意図がありありと見え、平和憲法
依拠して戦争参加を食い止めようといっても司法の側がこのような
堕落した態度ではどうしようもないのではないか、と思わざるを
得ませんでした。

 しかし、弁護団代理人らの粘り強い説得もあり、今日のこの
裁判だけで結審、ということは避けることが出来、さらに
ジャミーラ高橋さんら3名の陳述30分を次回法廷でやるという
約束を裁判長がしてくれました。

○ ジャミーラ高橋さん
  http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/news/019.html
  http://homepage3.nifty.com/antiwar/sakusaku/1_1.htm
  http://www.geocities.jp/iraqphotograph/phototakahashi.htm

 とはいえ裁判長は、「次回でおしまいになるかもしれないから」
などと早く切り上げたい、片付けたいという態度がありありとして
いて、本当に次回で終わりになってしまうのかもしれませんが、
それでもなお、こうした活動には意味があると思いました。

 それは代理人のひとりがおっしゃっていたように、
街頭でのデモンストレーションによって戦争反対の意思を表明
していくことも大事だが、裁判所という法にしたがって物事を
裁く場で「日本国家の戦争加担」について判断を示してもらう
よう要求し続けるというのは、とても大事なことだと思った
からです。

 また、別の代理人のかたが発言して、憲法の前文から
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が
これを行使し…」
といった箇所(←記憶曖昧です)を引きながら、
憲法はわたしたち日本国民に、不断の権利獲得闘争の義務を
課しているのです」
と述べたときには、法廷内で拍手が巻き起こり、
「静粛に、静粛に」
と抑止されるほどでした。

 裁判の内容については、自衛隊がインド洋等で行っている
「補給」「兵站」活動が憲法第九条第一項が「国際紛争
解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている
「武力による威嚇又は武力の行使」に当たるかどうか、という
論点がひとつ。自衛隊の補給活動がなければアフガニスタン
戦争はできなかったとアメリカの軍のほうがいっているのだから、
「補給」活動等も「武力行使」の一部であるはずというのが
原告側の主張で、それに対して、すくなくとも司法として
「判断を示してほしい、逃げないでほしい」とのこと。

 それから、裁判を受ける権利をそもそも保障してほしい、
ということがもうひとつ。(←地裁では、原告に「訴えの利益
がない」とされて門前払いされてしまったから。)

 最初の裁判(=今日)だけで門前払いされることがなく、
次回の裁判(2月12日木曜日11時から、だそうです)を
勝ち取ることができたこと、さらに、裁判官側が渋っていた
陳述を30分間勝ち取ったことは成果だと思いました。
次回の裁判では、今日は36人定員の法廷だったのが、
100人の法廷になるそうです。その法廷を埋め尽くすために、
平日の昼間に時間のとれる学生や引退者、主婦などなどに
積極的に訴えて広報・宣伝していく必要があると思いました。

 最後に、しょうじきな感想をいえば、どんなに立派な
憲法があっても、司法、立法、行政に携わる人間たちが
それを活かし、絶えず再生させていく態度をもたないならば
(どうしようもない腐敗、堕落、無関心の態度にあるならば)、
死文と同じであり、非専門家であれ市民の側の働き掛けによって
これら司法、立法、行政関係者らの態度を変えていかなければ
いけないと思いました。

 ただ、アフガニスタン侵略戦争劣化ウラン弾が使われた、
という原告からの提起がありましたが、ドラコビッチ博士の
最新調査によると、「劣化」ウランではない別のウラニウム
兵器、放射能兵器が使われた可能性が高いということなので、
これは事実と違う可能性があると思いました。但し、
劣化ウラン弾でなくバンカーバスターなどのなかにウラニウム
詰め込まれた放射能兵器であっても、確実に人体を蝕むわけ
ですから、その残虐性、非人道性には変わりないとは思います。



哲学者のフッサールは、晩年の著作『経験と判断』のなかで
次のようにいっています。

++++++++++
 非実在物の領域に重要な区別をもちこむ非実在対象のもうひとつの例は、憲法であ
る。国家(国民)は世俗的な、複雑な統一形式をもつ実在である。国家は領土という
実在の支配地域をもつかぎりで、特殊な場所を有している。憲法は、カテゴリー的対
象であり、国家意思ないし国是の表現として、さまざまな機会にくりかえされ、復元
され、さまざまな人格によってのちのち理解され同定されるかぎりで、ひとつの観念
性を有している。だが、特定の世界内の国民と関係している点で、この観念体はまた
しても独特の非実在性をそなえている。だれでもそれを反復できる(復元できる)と
いうことは、その世界内の位置にかんしては同一のままにとどまる国是の意味を、だ
れでもが反復できるということである。そのさい、みずからの市民的意思のうちに国
家意思をうけいれ、国家意思のにない手となっている市民によって『本来的に』復元
可能とされる場合と、たまたまこ憲法をたんに「歴史的に」理解している傍観者に
よって非本来的に復元可能とされる場合とを区別しなければならない。(エドムント
フッサール Edmund Husserl、『経験と判断』河出書房新社長谷川宏訳、
ISBN4-309-24215-4、p254)
++++++++++

このうち、外国人ないし「非国民」差別につながると思われる、

++++++++++
そのさい、みずからの市民的意思のうちに国家意思をうけいれ、国家意思のにない手
となっている市民によって『本来的に』復元可能とされる場合と、たまたまこ憲法
をたんに「歴史的に」理解している傍観者によって非本来的に復元可能とされる場合
とを区別しなければならない。
++++++++++

という箇所には、わたしは賛成できませんが、日本国憲法
安保体制⇒戦争加担(PKO⇒後方支援⇒海外派兵)によって
空洞化されようとしている今、憲法が「復元可能」であるか否かを
市民ひとりひとりが問い、自ら主体的にその復元の実践にかかわる
のでなければならないと強く思っています。