稲場雅紀さん

http://www.sukotan.com/shayda/shayda_top.html
http://www.kt.rim.or.jp/%7Epinktri/afghan/index.html
シェイダさんの在留権裁判にずっと取り組んできた稲場雅紀さんの姿勢と実践のことはわたしは深く尊敬している。
「成果」を出せる社会運動とは?__という問いかけをしてくださったのも稲場さんだった。
最初に稲場さんに出会ったのはもう7、8年前のことではないだろうか。アカー(動くゲイとレズビアンの会)で出会い、いろいろ話もしたような気がするが、記憶に残っていない。わたしは2年弱ほど在籍して、ちょっとしたきっかけで癇癪を起こし、神経症も悪化して退会し、以後会う機会がなかった。
その後再会したのは、数年を隔てて、911の後の報復戦争に反対するデモのときだった。わたしはNAMの会員になっていた。
話をしたけれど、稲場さんはNAMに対して否定的、ないし懐疑的な態度だった。
わたしはそのことをNAMのMLで率直に書いたのだけど(稲場さんの名前は出さずに)、柄谷さんのお返事があって、それは、NAMは活動家たちの「信用」よりも「経済的信用」の構築を優先する、という内容のものだった。要するに地域通貨Qの構築と普及を優先する、ということだ。
それが周知のように、「経済的信用」の構築どころではない事態になってしまった。
思うに、きわめて困難な「経済的信用」の構築の枠内に収まりきらない、国家の暴力装置の発動にどう対抗するかという問題に関して、少なくともかつて存在したNAM組織では議論と実践が十分ではなかった、或いは空疎な議論だけが一人歩きしていた。
例えばデモに行こうという単純な提起にもいろいろ反対したり留保をつけたがる返信が幾つもくる、など。
反グローバリズム、反アメリカの左翼とは違うスタンスなのだということを強調しようとする余り、一種の空回りに陥っていたと思う。
ATTACACAの理論と実践がでは資本と国家を揚棄するのかといえば、わたしには分からないとしか言えないが、少なくともNAMより具体的な実践(闘争)の提起と実行があったことは確かだ。
NAM独自のものといえばオンライン地域通貨Qしかなかったので、当初反対していた人も、次第に「唯Q主義」「一Q入魂」といった精神論に傾いてしまった。わたし自身もそのひとりだ。そして最後に、無意味な破局が待っていた。
稲場さんとの3度目の再会はシェイダさん在留権裁判のときだった。わたしは翻訳ができるわけでもなく、法廷闘争にくわしいわけでもなく、何ができるわけでもなかったけれど、歓待していただいたと感謝している。
NAM解散の前後は持病の神経症(不安障害)も極度に悪化し、異常な状態だったけれど、そんなわたしを排除せずに、いろいろ有益なアドヴァイスをいただいたことに心から感謝している。