簡単な解釈

最初の2つの夢では家族関係および買い物、その失敗が主題になっている。実際、わたしは不器用で物を買うときや小銭を払うときに手間取ることが多い。最初の夢には父親がいたが、2つめの夢にはいなかった。

「辛子」が足りないというのはわたしの人生自体に「辛子」が足りない、つまり甘すぎるという意味に思える。わたしはきちんと仕事をしている人たちのところへ「辛子」を乞い求めに行くが、相手にされない。

店での50円の不足にはあまり連想がない。しかし母親と買い物に出るとき、金が足りなくなるのではという強迫観念(恐怖)は物心ついたときから現在にいたるまで強くある。見知らぬおばさんは? よくわからない。芸音音楽アカデミーの生徒の一人だろうか。

スケートボードに乗って坂道を駆け下りるという行為は階段を駆け下りる行為と同様、性的な快感獲得という意味があるだろう。

結局母親もおばさんも見つからないが、道にはぐれることもわたしの強迫観念(不安、恐怖)のひとつだった。

「関(カン)」というのは不快な響きだった。カンという音は他に「漢」、「奸」を想起させ、とくに後者の感じがした。亭主関白云々はよく分からない。わたしが母親に対して独裁的な態度をとっている、ということをいっているのだろうか? 「奸」はわたしがずるい人間だといっているのだろうか?