『家畜人ヤプー』を讀む

電車内でデューク・エリントンの廉価盤10枚組の2枚目を聴く。半分ほど聴いたところで菊地雅章のスラッシュ・トリオの1枚目冒頭を。だが何故か疲れて音樂鑑賞を止め、沼正三家畜人ヤプー』再讀。

ーー感激。私はこの作品は小学生の頃、30年前に既に讀んでゐるしその後も折に触れて讀み返したと思うが、今讀むと二重三重に樂しみが倍加される。文學文藝的にも又政治的にもさうであり、私は昨今の対米従属・民族自立論者どもが心底大嫌いである。政治的な正當さと云ふ事を超へて洒落の分からぬ生眞面目な、いや糞眞面目なほんたうにつまらないろくでもない奴らだと強く思ふ。

ーーと云ふ事は何も私が親米保守とか賣國奴だと云ふ事を少しも意味しないが、さう云ふ事も單純極まりない單細胞には分からないであらう。連中は正義の味方が出て來るTVドラマに熱中する子供と變はらぬ熱心さで民族解放の英雄(失笑)を待ち續けてゐるのだが、そんな馬鹿は一人残らずさつさと死んで戴きたいものだ。さう云ふ連中に相応しいのは、SMであるとかSFであると云ふよりも、寧ろセルバンテスの『ドン・キホーテ』であらう。君らは風車を怪物と見立ててーー誤認してーー突進突撃してゐるのではないのか。ちよつと智慧の足りない御人好し連中を欺くのも大概にして戴きたいものだ。さうして自らの正常さやまともさ、規範性などありもしない美徳を誇るのを永久に止めなさい。それだけだ。

まだ新宿に着かないので一言付言しておく。Twitterの功罪も色々あるであらうが、一番良くないのは字数制限の為に、本來認識や議論には一定の長さが必要な筈なのに、内輪だけにしか通じないスローガンや合言葉のやうな符丁になつてしまつたと云ふ事である。それはその認識枠組みや世界観を共有してゐない者には極めて不愉快な獨善でしかないのだ。

なーんちゃって。あは。てへ。