アフターアワーズ

朝はYouTubeでゲオルグショルティモーツァルトを聴いていた。今はダイソーでの買い物から帰ってきて山中千尋の『アフターアワーズ2』を聴いている。TSUTAYAでレンタルで水曜日までだから、それまで繰り返し聴いて聴き倒そうと思っている。Facebookのほうには書いたが、目が醒めてから暫くfriendly for Focebookというアプリが起動しなくて1時間近くイライラしていた。別のものを使えばいいのに僕も馬鹿だが、どうも細かいことばかり気になる。自分は日常的で私的、個人的な人間だといつも強く思う。自分の小さな個人生活を超えたものは何も視野に入ってこない。別にそれで構わないとしか思わないが。社会、世の中に関係したことは全部大嫌いだということは常日頃申し上げているし、改めて言う必要もないことだが、そういう感慨は日々強まるばかりであって、僕はあらゆる意味で撤退し自分の内側へひきこもるばかりである。そういう傾向は若い頃や子供の頃からあったが、最近とみに顕著だが、震災以来ということだろうか。世の中が大騒ぎになると自分はますます撤退に撤退を重ね、自分の住む街、住む家で悠々自適、都内に出掛けることもほとんどなく、表に出て光が当たる機会を利用することも全くなかった。むしろ常にうんざりだと感じていたということだが、2年以上経過してますますそうとしか思わない。昨日ふとしたことから与謝野晶子の短歌であるとか鉄幹とか、また三島由紀夫太宰治などについてFacebookで長口舌を振るってしまったが、僕はそういうことだけが好きなのである。そうして音楽であるとか、それだけでなく僕の持論である絶対の意志ということについて随分大袈裟なことばかり書いたような気がする。確かに大袈裟だったとしてもそれは僕の本心であるというか、そういうことしか考えていない。根本的にロマン主義というか何というか、自分のこと以外何も考えていない人である。終わり。