ブゾーニ ソナティナ集

高橋悠治モンポウ 沈黙の音楽』を掛けようとするが、CDラジカセが再生してくれないので、あれこれ迷った挙句『ブゾーニ ソナティナ集』を掛ける。

Facebookでの畏友(と申し上げては失礼だが、20年前からの知り合いではある)Iさんの御意見。ネット右翼(=自覚的保守派)が冷戦がとっくに終わってもいまだに「反日左翼」を叩くのは、わが国において「左翼」が死んでるからだろう。死んだ者を幾ら叩いても反撃されることはない。

ということですが、僕も似たような印象を持つ。「左翼」の定義が問題だし、死んだ/死なないの具体的内実も問わなきゃいけないが、それは細かい話だ。この話は何度もしているが、(旧)社会党の分裂・衰退は小選挙区制導入が決定的だった。中曽根康弘の意図は社会党潰しだった。そのことへの小沢一郎の関与、また、当時の村山富市政権の判断ミスも考えなければならない。いま、後継の社民党は非常に危機的な状況である。共産党はそこまでではなく、徐々に議席を増やしてはいるが、やはり「確かな野党」に留まっていて、議席倍増とか、安倍政権に今すぐとって替わるということではあり得ないのも申し上げるまでもない。新左翼セクトノンセクトも衰退は著しい。Masahiro Okada/相原たくや/ミー猫さん、白石道太さんその他のラディカル(というのは、社共より左というポジションを表明されているという意味です)はいらっしゃるとしても。むちむちぽこにゃんさんらのレーニン主義というのも僕には分からない。塩見孝也さんが現在も主張される世界革命というのも分かりません。

僕は読書が好きなわけですが、そうすると左翼知識人や左翼哲学者もよく読む。例えばジジェクネグリ、バデュウなどですが、説得力を感じたことがない。読み物として多少面白いとか面白くないということはあるとしても、僕は80年代のフーコーは良かった、と思う。幾ら状況が変わったとか変わらないといっても、合理的な根拠もなく極左的(と申し上げても悪口や事実誤認ではないと思うが)な先鋭的な意見を主張しても、それは妄執にしかならない。それはかつてのニューアカの頃の市田良彦さんの『闘争の思考』にそう感じたし、最近では長原豊さんらのおっしゃる意見も僕には理解不能である。王寺賢太さん、小泉義之さん、それからもうお一方は御名前を忘れたが、彼等による湯浅誠さん、芹沢一也さん、濱野桂一郎さんへの批判も意味不明である。統治性に関与しているとか、実はネオリベであるとか(ここまで拡張解釈されると「ネオリベ」ももう何でも入るマジックワードである)。

柄谷行人さんのかつてのNAMとか、最近のデモ礼讃、「イソノミア(=同等者支配、無支配)」もわけがわからないが、後者に関してはアナーキズムの言い換えとしか思わないが。なぜならば、語源的にも「支配」なり権力を意味する言葉の否定(の接頭辞がくっついたもの)だからである。現在の民主主義の問題性を指摘したり批判したり、よりましな代替案を模索するのに、アテナイの民主主義が参考になるかならないかとか、より先行する形態が大事なのかというのは、はっきり申し上げてどうでもいいことであり、そんなつまらないことではなく、はっきり具体的に、もしあるならば改善策を提案すべきである。NAMにしても、NAMそのものは取り上げるにも値しない無意味なものだが、協同組合主義や、国際的にはかつての自主管理社会主義ユーゴスラヴィア)、イギリスのウェッブ夫妻、スペインのモンドラゴンなどの歴史と現在の検討が必要である。国内では宇野派の大内力や、晩年の福本和夫の問題。その弟子の石見尚。それに限らないが。日本にも労働者協同組合連合会や協同総合研究所その他があるわけだ。最近どうなってるのか存じ上げないが、「起業」志向の社会運動ということで、ワーカーズ・コレクティヴやワーカーズコープのブームもあった。今も一部続いているが、その多くは世の中をどうこうするというよりも、ただ単に自分が「店を開く」というだけのことになっているのではないか。

経済や経営というならば、どうしても効率と収益(をあげることが可能な、持続可能な経営モデル、経営戦略)が必要である。資本主義であろうと資本主義批判であろうとそれは同じです。フェアトレード、オーガニック、有機農業、産直、生協なども全部そうです。さらに、NAMのもう一つの戦略、地域通貨運動に関しても、この10年をみれば悲惨なことになっている。Qが事実上機能停止しただけでなく、レインボーリングの安部芳裕さんは、日本においては地域通貨を拡大することは難しいという、それ自体としては正当な認識から、理解不能陰謀論に移行されてしまった。そうして反TPP、反グローバリゼーションの活動家などというのには絶句するしかない。ゲゼル研究会の森野栄一さんは、元々ゲゼル(への注目)そのものに反共的な動機があるが、いま現在も、民主党さえもブンドの極左政権に見えるようだ。チャンネル桜と変わらないね。そして、イデオロギー的に頭から否定しないとしても、日本の戦前の農本主義者たちの著作や思想の再検討にはそれなりに注意が必要だ。

左翼が嫌いというのは、権力や暴力が嫌いということだが、さらに、中央集権的な統制も嫌いだ、政治的にも経済的にも、ということで、その一種のアナーキズムは、農本主義を通じてファシズムと微妙な関係を持つだけでなく、自由主義、また、新自由主義の伝統との関連、アナルコ・キャピタリズムとの関連も問われる。地域通貨といっても、中央集権的で管理統制的なクライアント・サーバ(C/W)型のLETSを排し、自律分散型のWAT Systemを推奨しているが、後者は、我々個々人が勝手にダウンロードして印刷して使ったり、また、iWatなどをどんどん勝手に使って構わないのだということであっても、現実問題として市場、マーケットがあるかどうか。モノ・サーヴィス、商品があるかどうか。消費者が選択可能かどうか。生産者や事業者に利益はあるか。また、それが活用されているかいないか、中央集権的システムではないだけに、誰も把握できない、地域通貨の流通量さえも全く不明である、という問題がある。

大体僕が承知しているのはこれくらいです。

ブゾーニ:ソナティナ集

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