「憎いし苦痛」なのか、「美しい国」は。

自由民主党の総裁選が五人の候補者によって戦われており、元総理の安倍晋三さんが有力だ。彼の再登板、彼自身の「再チャレンジ」が話題になっているが、かつて安倍政権のとき、彼を批判する人々が口々に、「美しい国」を逆から読むと「憎いし苦痛」だ、彼の壮大で美しいヴィジョンは欺瞞なのだ、と言い立てていた。私自身は、「逆から読むなよ」と思っていた。

それはともかく、昨今、日中関係尖閣諸島の帰属、領土問題を巡って緊張し、反日デモが中国全土で起きている。インターネットには日中開戦を本気で危惧する論調も多いようだ。一々全部調べていないが。

戦争の危険性が現実問題としてどのくらいあるのかは勿論私には分からないが、こういう情勢において、五人が五人揃って対外的強硬路線のタカ派である自民党に政権が戻りそうな勢いだということは心配だ。とりわけ、安倍さんが不安材料である。

安倍晋三さんの経済政策には一部評価する向きもある。例えば、Twitterで、白義すばるさんは、安倍さんは自民党の有力政治家のなかで唯一、リフレ政策に理解がある、と指摘している。また、きっこのブログのきっこさんは安倍さんの「再チャレンジ」政策を馬鹿にするが、そういう格差対策が必要であることはいうまでもない。問題は「再チャレンジ」の中身、及び、それが現実に有効かどうかである。

だが、政治は内政だけではない。安倍晋三さんの原発稼動、継続への積極的な姿勢、及び、外交や国防(軍事)における極右的姿勢──そういうしかないと思うが──がとんでもない大問題だということは、彼の経済政策の是非に関係がないのである。

自民党はなぜ潰れないのか』で元共産党代議士の筆坂秀世さんが言っていたが、拉致問題などで対外的に「闘う政治家」という安倍さんのイメージは、総理になる頃に国民向けのイメージ戦略、支持率アップのための手段として用いただけであるそうだ。実際の安倍さんはただ単なるぼんぼんであり、筆坂さんが国会の委員会で同席したときの安倍さんは非常に無気力な印象で、まるでやる気、覇気が感じられなかったそうだ。

勿論、安倍さんの強気の主張が実像なのか虚像なのか、ということはどうでもよく、仮に演技、パフォーマンスだとしても、余りにも硬直した姿勢であり、現実に適合させてあれこれ繊細微妙且つ多様な方針を選択できそうにもないことが大問題である。平時ならばともかく、現在は中国、韓国との関係がうまくいかなくなってきている時なのである。そういうときに、火に油を注ぐような言動だけは謹んでいただきたいものである。

美しい国へ (文春新書)

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