Vladimir Horowitz "Horowitz Plays Rachmaninoff" (RCA).

Vladimir Horowitz "Horowitz Plays Rachmaninoff" (RCA).

Sergei Rachmaninoff (1873-1943)

Sonata No.2 in B-Flat Minor, Op.36
(1) Allegro agitato
(2) Non allegro; Lento
(3) L'istesso tempo; Allegro molto

(4) Moment musicale in E-Flat Minor, Op.16, No.2
(5) Prelude in G, Op.32, No.5
(6) Polka V.R.

Concerto No.3 in D Minor, Op.30
(7) Allegro ma non tanto
(8) Intermezzo: Adagio
(9) Finale: Alla breve
(RCA Victor Symphony Orchestra, Fritz Reiner, Conductor)

Vladimir Horowitz, Pianist

Total Playing Time - 70:36
Produced by John Pfeiffer, Recording Engineers: Edwin Begley (1)-(6), Lewis Layton (7)-(9)
Recorded live in April and May 1980 (1)-(3) STEREO
Recorded June 24, 1977 (4)-(6) STEREO / May 8 and 10, 1951 (7)-(9) MONO
Reissue edition digitally remastered by Nathaniel S. Johnson, Supervisor; James Nichols, Engineer
Art Director: J.J. Stelmach, Photo: Christian Steiner (1989)

Horowitz plays Rachmaninoff

Horowitz plays Rachmaninoff

さて、当たり前ですが、ラフマニノフスクリャービンとは全く違います。彼は無調に接近したりしません。どこまでもロマン派に留まります。ラフマニノフスクリャービンもピアニストでしたが、ラフマニノフのほうが圧倒的に技術的にも卓越し著名であったと思います。ラフマニノフロシア革命アメリカに亡命したはずですが、アメリカでの彼は作曲家としてよりもピアニスト、演奏家として華々しく活躍し、コンサート・ピアニストの仕事が余りにも多忙であったので、作曲活動が余りできなくなってしまったというほどでした。ピアニストとしてのラフマニノフの仕事は、彼が作曲した4曲のピアノ協奏曲の自作自演や、『ラフマニノフ・プレイズ・ラフマニノフ』によって窺うことができますが、驚異的なヴィルトゥオーゾであったということがよく分かります。

ラフマニノフは彼の第2番のピアノ・ソナタを書き換えてしまいました。それは技術的に余りに難しかったので、一般のピアニストには演奏不可能だったからです。けれどもそのことにホロヴィッツは不満でした。彼は作曲者のラフマニノフの許可を得て、もともとのヴァージョンとの折衷を自作し、それを演奏したのです。ホロヴィッツラフマニノフのピアノ・ソナタの第2番を2回録音しています。最初は1968年12月カーネギー・ホールでのライヴです。こちらはCBSです。RCAでの二回目の録音は1980年のものです。いずれも非常に素晴らしい名技的な演奏です。

私は今RCAを聴いていますが、「楽興の時 変ホ短調 作品16の2」は、『ラフマニノフ・プレイズ・ラフマニノフ』に入っている作曲者ラフマニノフによる自作自演と聴き比べればいいと思います。ラフマニノフ自身の演奏はザッハリッヒです。実に淡白なものです。技術的には難しいのでしょうが、そういうことを少しも感じさせません。他方、ホロヴィッツの1977年の演奏は、良くも悪くも彼自身の個性が出てしまっています。フレーズはぶつ切りだし、変なところに強烈なアクセントを加えたりします。恐らくそういうのは正統的な解釈ではないのでしょうが、けれどもそういうことをやってしまうのがホロヴィッツなのです。ピアノ演奏を学ぶ人が絶対に真似をしてはいけないと言われる由縁です。

「ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30」ですが、ホロヴィッツが録音したのはラフマニノフの3番だけです。けれどもこの3番は3回録音しています。フリッツ・ライナー指揮のRCA交響楽団と共演した1951年の録音は2回目の録音ですが、音質も演奏内容もベストでしょう。最初の録音は音質が劣悪ですし、3回目の録音は演奏内容が良くないと言われています。ホロヴィッツ自身がどうして3番しか録音しないのか説明しています。ラフマニノフの2番は作曲者ラフマニノフ自身の残した録音が最高であり誰もそれも超えられないので、自分は2番は演奏しない、それがホロヴィッツの考えでした。他方、3番の作曲者の自作自演には不満があったようです。確かにCDを確認しますと、ラフマニノフ自身の3番の録音は、自分が作った曲のはずですが、余り弾きこなせていないという印象です。ホロヴィッツは1番、4番には音楽的に興味がなかったのか、言及していません。

1977年の「楽興の時」について指摘したような、フレージングがぶつ切りでばらばらであるとか、アクセント、強弱の付け方がおかしいということは、実はホロヴィッツは昔からそうなのです。例えば彼は、「月光」、「熱情」、「ワルトシュタイン」といったベートーヴェンのピアノ・ソナタRCACBSで二回、録音しています。そのいずれが優れているかということが批評家の間で議論されるのは、アクセントの付け方やフレージングなど解釈を全く変更してしまっているからです。例えば「月光」について、CBSの新しい録音よりもRCAの旧録音のほうがいいという人がいます。その理由は、新しい録音のほうは第一楽章のテンポが速過ぎるということなのですが、それは確かにその通りですが、私が聴く限りむしろ第三楽章の解釈がどうなのかということのほうが大きな問題だとそれこそ20年前からそう考えています。CBSホロヴィッツのような「独創的」な解釈をしてしまっている人は他に誰一人いないのです。

他方、「ワルトシュタイン」はCBSの新録音がいいと言われたりします。理由は第三楽章の解釈が「独創的」だからです。かつてのホロヴィッツ自身の録音を含めて、そのような強烈なアクセントの付け方をした人は誰もいないのです。ホロヴィッツのフレージングやアクセントが特異、独特であるということは、成功しますと、他の誰も追随できないような驚異的な名演奏ということになりますが、必ずしも常に成功するというわけではありません。70年代には余りうまくいっていない演奏も沢山あります。一例を挙げればRCAの『ホロヴィッツ・プレイズ・リスト』に入っているロ短調のピアノ・ソナタですが、これはどう考えても1930年代の最初の録音のほうがいいと思います。

中村紘子が『チャイコフスキー・コンクール ピアニストが聴く現代』(中公文庫)で書いていましたが、かつて、音楽コンクールの審査員を務めるようなクラシックのコンサート・ピアニストらの間で、まことしやかに、ニューヨークに住むホロヴィッツの存在がアメリカの若いピアニストを魅了してしまい、不毛にしているのだなどということが語られていたとのことですが、なるほどそういうことはありそうなことだと私も思います。ホロヴィッツの指の構えが変(彼はピアノの鍵盤の上に指を平べったく伸ばすのです)、ということよりも、彼の独特、特異な解釈を聴くと特に若い人はどうしても自分もそのようにやりたくなってしまいます。それは致し方がないことです。けれども、ホロヴィッツ流の解釈をホロヴィッツ以外の人がやることはできないのです。

けれども音楽コンクール、ショパン・コンクールやチャイコフスキー・コンクールの審査員連中にもジレンマがあるのです。これも中村紘子が書いていますが、彼らは、ホロヴィッツのような才能が現われて欲しいと願っていますが、他方、「たとえホロヴィッツが受けてもこのコンクールには受からないだろう」とか言います。余りに特異な人が受け入れられることはないのです。例えば、音楽ファンなら知っている人も多いでしょうが、1980年の第10回ショパン国際ピアノコンクールでトラブルが起きました。イーヴォ・ポゴレリチという人の演奏が奇抜過ぎるということで落選したのですが、そのことに抗議して、当時審査員の一人であったマルタ・アルゲリッチが辞任してしまったのです。その騒ぎで却ってポゴレリチは有名になりました。なにしろあのアルゲリッチが支持しているのですから。