アンラッキー・ヤングメン

ジャズは芸術音楽でもあり、同時に商業音楽でもある。だから、メインストリームの知識人でジャズをまともに論じる人が少ない。そう考えました。毛利嘉孝さんの『ポピュラー音楽と資本主義』がありますが、私が読む限り本当に社会学的な分析であり、それ以外のものではなく、音楽の内容に踏み込んだ分析ではないと感じました。

『ポピュラー音楽と資本主義』
http://www.serica.co.jp/278.htm

だからよく馬鹿にされているけれども、サブカルチャー分析のようなものも参考にしたほうがいいのかも、ということを思いました。ジャズをサブカルチャーと言い切れるかどうか分かりません。芸術性と商業性の両方を備えているのですから。ただ、繰り返しになりますが、メインストリームの知識人(哲学者など)が主要な関心を持つのはどうしても現代音楽などになってしまうので、ジャズを考えたり分析したいというときに、彼らの概念装置は余り使えないようにも感じています。

オスカー・ピーターソンについていえば、デビューした頃から死ぬまで、龝吉敏子から上原ひろみにいたるまで日本のジャズに影響を与えたのは凄いと思うし、その影響はジャズピアノに留まらなかったと思います。私が思い出すのは、大江健三郎の(後に彼自身が否認してしまった)『われらの時代』という最初の長篇のことです。その小説の主人公達は、「不幸な若者たち(アンラッキー・ヤングメン)」というジャズ・ピアノ・トリオを組んでいるのですが、彼らのトリオがピーターソン・トリオの模倣というかコピーであるという設定になっています。当時(50年代だと思いますが)ピーターソンが流行っていたのでしょう。

特に日本文学でジャズを描いたものが余りないように感じます。平岡正明が、日本語で書かれた最も優れたジャズ小説はホレス・シルヴァークインテットをモデルにした若き石原慎太郎の『ファンキー・ジャンプ』だといっていますが、私は未読です。そのうち読みます。石原慎太郎は政治的にも文学的にもいろいろ文句を言われますが、彼の小説にも優れたものもあるのでしょう。