いーぐる掲示板への投稿

連続投稿すみません。
後藤さんのブログのthink連載はとても面白いし、参考になっていますが、前から気になっているところがあります。それはピュタゴラス主義(つまり、数的、数学的な神秘主義、そしてそれを音楽と結びつける考え方)を批判したくだりです。

後藤さんがおっしゃっていることは妥当なのでしょうが、もうすこし広く言いますと、プラトン主義の批判なのではないでしょうか。というか、イデア論の問題点に気付いた晩年のプラトンピュタゴラスの考えに接近した可能性もあります。彼の思想傾向からして、感覚、知覚、「大地」を肯定するようになったとは到底考えられないからです。
ジャズの美学の基礎づけのようなことでもう5年以上前ですが、後藤さんと論争して、「プラトン主義」を批判され、私がそれを撤回したということがありました。私が思うのは、歴史的にみて、人間の考え方のパターンは限られているのではないか、ということです。後藤さんのように(現象学的に)具体的な生きられた知覚体験を重視する考えもあれば、netjazzさん(懐かしいですね)のように楽理を重視する(プラトニズムとまではいわないとしても、本質論的な)立場もあるということでしょう。今現在私が、いずれが妥当なのかを自信をもって断言することはできないのですが。それは非常に長い時間をかけて(一生をかけて、といってもいいでしょう)考えている、ということですが。
ちなみに、com-post往復書簡で後藤さん以外の方、miyaさんが展開しておられる思想は、私にはよく分からないというか、不明な点が多々あります。私が頭が悪いだけかもしれませんが、もうちょっと慎重に吟味したほうがいいように感じています。たとえば、あのようにソシュールを援用するのは妥当なのでしょうか。