私の意見

私個人はドゥルーズが言っていることは綺麗事だと思います。私が理解する限りでは、フーコーは、「生きること」「老いること」「病むこと」「死ぬこと」を病院という施設が管理するということに批判的、或いは最低限いっても懐疑的だったわけです。勿論フーコーは、イリイチのような人とは違います。彼は、精神医学や臨床医学の知と実践がいかに生まれてきたのかという歴史的経緯を分析したのです。それでも彼は、病気になれば病院に行く、そこで管理される、ということが自明なことではないという認識は持っていました。しかしその彼が、まさに病院に管理されて死んでいきました。病室は相当不自由だったようです。誰かが何かを持ってきてくれたり、彼の新刊が出来上がってきて運ばれてきても、看護婦が、こんなものは不要です、と捨ててしまう。そんな状態だったようです。だから、フーコーの思想と死が一致したということではなく、むしろ逆であったと考えます。ただ、フーコーは、ドゥルーズと違ってストア派を讃美しませんでしたが、晩年繰り返しマルクス・アウレリウス帝の『自省録』を愛読していました。その意味で、死について省察していたというのは事実であろうと思います。