朝の思索

おはようございます。御元気ですか。

私のほうは、心身共に体調は極めて悪い。親から制止されるのに、連日10時間以上猛烈な集中力で読書や抜き書きを続け、非常に消耗してしまう。

私の蔵書というのは、多いけれども偏っているというか、哲学、文学のほかは精神医学関係が多いんですね。経済学など他の分野は、全部、図書館で読みました。アダム・スミスリカードゥもそうです。そういう基本的な古典も持っていない、所有していないというのはどうかとも思うけれど、一応義務的にというか、お勉強として読むには読んだけれども、自分としては経済学には馴染めない感じがする、ということです。スミスにせよリカードゥにせよ重要なのでしょうが、私は非常に退屈に感じます。そういうことには向き、不向きがあるんじゃないかな、と思います。

読書や抜き書きが体に悪いし、精神衛生にも良くないというのは、精神医学の本から、症例報告を抜き書きするでしょう。それが苦しいということですね。『シュレーバー回想録』とか『自殺直前日記』は例外だと思いますが、一般に、病者、患者の言葉が多く残されるということはありません。医者の文章で引用、言及されている、ごく断片的な言葉しか知り得ない場合がほとんどです。しかし、それを読むだけで、私は、非常に気の毒だと感じてしまうんですね。ヒロシ(仮名)という人の、これまで自分はスーパーマンになろうとしていたが、今はそう思わない、自分が弱いと感じる、みたいな言葉も気の毒に思うわけです。そして結局若くして自殺してしまうわけでしょう。そういう生(と死)が無数にある、ということはよく承知しています。ヒロシもその一例でしかない。けれども、どうしても思い入れがある。

小笠原晋也の論文、エッセイで、別にフロイトラカンの理想自我や自我理想の概念がどうのということには興味がないんです。ただ、彼が紹介している、自分は経団連会長になるんだとか妄想して十年も一橋大学を浪人し続けている人とか、有名仏文学者になることを夢見て何年もひきこもって我流の「研究」を続けているという人とかが、非常に痛ましいと感じます。自分も同じじゃないか、と思うんですね。私だって、社会的に承認されているとか、制度的に地位が保障されているということは一切ありません。ピアノの即興演奏の実験を続け、それを記録したYouTubeがもう1000本以上あるといっても、特に社会的な意味はないと思います。自分を音楽家だとかジャズピアニストだとも思いません。哲学、文学をやっているとかいっても、それだって「我流」、自分勝手に読むだけですから、小笠原晋也が小出浩之の論文から引用して論じている患者と違わないと思います。

小笠原晋也が書いているので理解できないのは、彼らは既に現実に、経団連会長であり、有名仏文学者であるのだ、そうでなければどうして、十年も浪人し続けるような人生に耐えることができるだろうか、とかいうことです。私は平凡な人間なので、主観的な自負はどうあれ、客観的には、つまり社会的には、彼らが経団連会長や有名仏文学者などであるはずがないじゃないか、としか思いませんが。

そのように言いつつ、他方で、小笠原晋也は、彼らは現実界(これは言葉の通常の意味での「現実」とは異なり、ラカンにおいては「不可能なもの」と定義されています)と出会ってしまった、これは神経症者とかいわゆる正常人にはあり得ないことだ、だから、彼らは精神病者である、と断言するわけです。他方、境界人格障害のほうは、どれだけ試行錯誤しても、次から次に他者に理想を求めても、現実に理想が実現されることは絶対ないから、神経症者なのだ、とかいう。

小笠原晋也は、自分の文章の目的は「境界例」などないということを証明することだ、と宣言していましたね。それはいかにもラカン派的な発想であり、非常に原理主義的、教条主義的です。彼が単に、理論においてそうだっただけでなく、実際の診療においてもそうであった、例えば境界例というような診断を絶対認めず、統合失調症精神分裂病)と診断したりしていた、という話は以前にも紹介しましたね。

まあその話はこれくらいにしておきましょう。

それから、木村敏岩波新書でいっていることというのは、私には非常によく分かります。その新書の主要なテーマは、精神分裂病ですが、欝病のことも少し書いてある。テレンバッハという人の意見が紹介されていますが、鬱病の罪悪感、申し訳なさというのは、少しも宗教的ではなく、極めて世俗的なのだということですね。つまり、借りたものが返せないとか、借金が返せないとか、そういうものだということです。それは理解できるように思います。そもそも私が9.11の直後に、精神に異常をきたし、当時働いていた埼玉の会社で倒れて、精神科に通うようになったのも、他者に「申し訳がない」、非常に取り返しがつかないことをしてしまった、という罪業妄想のせいでした。例えば、柄谷さんとか、柳原さんなどに対して、非常に申し訳がない、済まないと感じる。柄谷さんには電話などしませんでしたが、柳原さんには電話して謝罪する、そうしたら、柳原さんのほうは思い当たることが全く何もなく、理解不能、ということでした。但し、高根台メンタルクリニックという医者に行ったのですが、診断は、欝ではなく「社会不安障害(SAD)」、昔でいう不安神経症ということでした。

木村敏がいう、精神疾患全般の「軽症化」「異症状化」というのも分かります。間主観的・集団的(社会的、といってもいいでしょう)なものから、主観的・個人的なものへの変化というのは理解できます。欝病にせよ、他者なり社会と関わる罪業妄想(自分は許されない罪を犯した、とか)から、心身の不調、心気妄想みたいな訴えが多くなる。さらに、単に一人で自分を責めたり苦しむだけになる、というのは、私自身がそうです。自分は重い病気だ、というのは、私の思い込み、錯覚、妄想かもしれないんですね。木村敏がテレンバッハを引きながら整理していたと思うけど、欝病の主要な要素というのは、「取り返しのつかないことをしてしまった」という罪業妄想、「自分は不治の病気だ」という心気妄想、「私は破産してしまうだろう」という貧窮妄想の3つであるということですが、自分の場合、全部合致してしまうわけですね。

例えば、しばらく前にFacebookにこういう意味のことを書いたでしょう。NAM会員700人(以上)全員のQ加入を実現することで、Qの専従者の生活を支えたかったができなかった、それは自分にとっては取り返しのつかない失敗だったと思う、というようなことを。結局その専従者の人は精神(病)的にも経済的にも困窮してしまったんだ、と。

しかし、客観的にいうならば、別に少しも取り返しがつかないことなどないし、申し訳なくもないわけです。その人にせよ、今は結婚し(結婚相手も精神病ですが)、仕事も見付けて幸福に暮らしているはずです。絶交、絶縁してしまったので、今どうしているのかは知りませんが。ただ、その昔、彼と結婚した精神病の女性から聞いた話では、彼が余りにも問題を数多く起こすので、その後始末に追われて、自分が欝になっている暇もないんだ、ということでした。問題というのは金銭トラブルです。彼は自己管理できないので、結局奥さんが計画を立てて返済し、生活が破綻しないように気を配っている、ということでした。

もし私が、取り返しがつかない罪を犯した、済まないことをしたと感じなければならないとしたら、それは2003年に自殺者を出してしまったということでしょう。死んだ人が生き返ることはあり得ないから、それは文字通り「取り返しがつかない」ということでしょう。

当時私がショックを受けていたら、杉原さんがメールをくれて、その人が自殺したのは偶然というかたまたまであって、例えば当時Qの代表をされていた宮地剛さんが私からの激しい糾弾に耐えかねて自殺していたとしてもおかしくないんじゃないか、と言われました。

ただ、残酷な人間、ひどい人間だと思われるかもしれませんが、私は宮地さんには何ら責任を感じないんですね。彼は、2002年9月から2003年半ばくらいまで続いた紛争で、うつになり、服薬を余義なくされるようになったそうです。しかし、それでも、私はそのことに関して自分が悪い、責任があるとは考えません。NAMなりQの運営を巡って意見が違ったので論争になった、相当激しい口調で糾弾もした。違法行為(ハッキング行為)は悪かったと思うし反省していますが、しかし、意見が違ったので争ったこと自体が悪かったとは考えません。だって私と宮地さんは対等な立場だったわけでしょう。特に彼に配慮しなければならない、気遣わねばならない、という道徳的義務は一切なかった、と思います。そのことで宮地さんがうつになったり、いろいろ不幸な出来事があったとしても、それが私の責任だということになるんですか。私はそうは考えません。

死んだ人の話に戻れば、その人はもともと、精神的に極めて不安定でした。自分は30代なのに大学院生で親に喰わして貰っている。その人自身が使っていた表現でいえば、自分は「鬼畜」のような人間だ。だから、早く死んだほうがいいのだ、というような投稿をしていました。勿論、そのような個人的なことを、NAMの評議会に多数投稿されても困るわけです。それで、当時副代表だった和氣久明さんという方の判断で、迷惑である、ということで評議会を追放されてしまったんですね。王寺賢太さんは、和氣さんは冷たいんじゃないか、といっていましたが、でも私はしょうがない面もあると思うというか、私は死にたい、死んだほうがいい、というようなことを盛んにNAMの評議会で発言されても困るというのはその通りじゃないかな、と思いました。その意味で、和氣さんがそう判断されたのもしょうがないと思いました。

私は資料を全部処分したので、正確な表現は覚えていませんが、こういうことがあったと思います。その人は、市民通貨Lを支持していました。Qはすぐ使えなくなるので、持っている人は今のうちに使ったほうがいい、とかも言っていました。別にそのことが悪いと思いません。ただ、京都の南無庵というところで、Lの集会をやるから集まってくれ、という呼び掛けのメールをその人が書いていたのですが、そこにやや気になる表現がありました。その人は"L"というのは、lunaticのLなんだ、と書いていたんです。言うまでもなく、lunaticというのは狂人のことですよね。なんでそんなことを言うのか不思議に思ったし、その時既に不吉な、いやな予感がしたということもあったと思います。

どうしてその人が死んだのかは絶対的な真実は分かりませんが、私の激烈な糾弾(勿論その人に対するものではない)に接して、前年に自分がLに明瞭に加担したということに罪の意識、後悔の念を感じたんじゃないかな、ということは予想します。パレスチナ・オリーブの皆川万葉さんという方と当時話したんですが、その頃、サイードが亡くなったんですね。皆川さんは、サイードはもう十分長生きしたから、そのことにショックはない。けれども、同年代のその人が若くして死んでしまったのはショックだし悲しく思う。NAMやQがどうの、ということで死ぬ必要などあったのか。早まったことをしてしまったと思う、と言っていました。私も同感ですが、しかし、結果的にその人を追い詰めてしまった自分には罪、責任がある、と思います。

長くなりました。これくらいにしておきましょう。