二和向台散歩

毎日の日課で、開館と同時に船橋市北図書館に行ってきたが、意気消沈 depressionのためか、図書館中隅から隅まで丹念に見て回ったけれども、読みたい本は一冊もなかった。香山リカの新刊が入っていたが、読む気にはまるでならない。
お腹が痛くなったので、図書館の洋式トイレを借り、一旦帰宅して、築地大ちゃんに出直し、人参2本を97円で購入。帰宅すると母親から呼ばれ2Fへ。ご飯・納豆・味噌汁で朝食。その後、腹揉み・ダイエット体操→洗髪。傷の治療をしていると電話が鳴り、会員さんがいらしている。店に出てみると、おせちとかお正月のものを持ってきてくれていたのだった。会員さんがお帰りになった後母親が感極まって号泣していた。
朝の血圧測定結果をパソコン(メモ帳)に打ち込んだのだが、もう昼の血圧測定の時間だね。血圧測定に追われる日々…。それと2003年かそれ以前に購入したデジカメの取扱説明書を紛失したようで、詳しい使い方が分からず困惑している。写真を撮影しパソコンに取り込む、ということはできるのだが、設定とかあれこれ弄りたいのだが、素人が説明書もないのに弄って壊してしまってもいけないし、と躊躇。
今日歩きながら考えていた、感じていたのは、人間の気質ってのはそうそう変わるもんじゃないんじゃないか、ということ。二和向台を毎日歩きながら、私は、少年時代に戻ったような懐かしい感覚を感じている。子供の頃も、今感じているような感覚、言葉で表現するのは難しいが、敢えて試みてみると「快適な空虚感」のようなものを感じていたと思う。つまり自分はここにいて、そしていない。ただ意味を欠いた感覚印象の流れだけがあり、その流れに身を委ねている。そのことの恍惚。「何も考えていない」ことの恍惚。
もし働かないこと、何もしないことが悪だとすれば、私は悪人だろう。何もしたくないし、現に何もしていないのだから。私は単に怠惰で、活動的であることを嫌う消極的な人間である。しかし実は、そういう自分も別に悪くないと思っている。そういう人だって世の中にはいるのだと。傲慢な開き直りだろうか。そうかもしれない。しかし私は、自分が今いるこの場所から、一歩も動くつもりがない。