おはようございます。

今日も寒いですね。インフルエンザ流行だそうですので、皆様健康には気を付けてくださいね。
国府弘子さんの『モーメンツ』を聴いています。Akiko Graceさん、山中千尋さん、大西順子さんも聴き倒したいですね。私は邦人ジャズミュージシャンを応援しています。
与謝野晶子の『みだれ髪』、「臙脂紫」と題された一連の冒頭の短歌の最初の二首に目が行ってしまいます。(いつものこと。)
「夜の帳にささめき盡きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ」
「歌にきけな誰れ野の花に紅き否むおもむきあるかな春罪もつ子」
私が現代詩フォーラムに投稿した歌集(?)の題名を「秋の罪」としたのはこの歌が念頭にあったのです。青春の恋が春の罪なら、中年の恋は秋の罪かな、と。この二首に限らず『みだれ髪』は濃厚な情緒で染め上げられています。
「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」
これは伊藤左千夫の代表歌と言われています。なんということはない歌だと思いますが、明治の短歌改革(革新)運動の気概が伝わってきますね。
私が『左千夫歌集』を読んでいて気になったのは、愛国的、ナショナリスティックな感情が濃厚なこと。例えば次の歌はどうでしょう。
「あたつ国蒙古の使時もおかずはや打ち斬れとたけびけむかも」
「元の使者すでに斬られて鎌倉の山のくさ木も鳴りふるひけむ」
鎌倉時代に幕府の執権北条時宗が、元からの使者5名を斬った、との史実を歌った歌ですが、私は、元寇はあれは侵略だったと思いますが、元から使いが来ているのにそれをいきなり斬り殺すこともないだろう、と思うのです。それも日本と中国(元)の関係を悪化させた原因の一つではないでしょうか。
他に伊藤左千夫には天皇を讃美した歌が多くあります。
時代が前後しますが与謝野鉄幹(与謝野寛)の処女歌集『東西南北』ですが、さてこれはどうでしょう。
「野に生ふる、草にも物を、言はせばや。
       涙もあらむ、歌もあるらむ。」
「花ひとつ、緑の葉より、萌え出でぬ。
       恋しりそむる、人に見せばや。」
これは冒頭の二首です。なかなかいいと思います。でもこれはどうでしょう。
「から山に、桜を植ゑて、から人に、
       やまと男子(をのこ)の、歌うたはせむ。」
朝鮮に乙未義塾という私塾がありました。そこで、高麗民族に日本の文典を与えたり、日本唱歌を歌わせていたというのです。与謝野鉄幹は明治の「国士」「壮士」だったのですね。その政治性をどう見るか、難しいところです。
斎藤茂吉では次の歌が好きです。
「書(ふみ)よみて賢くなれと戦場のわが兄は銭を呉れたまひたり」
「戦場の兄よりとどきし銭もちて泣き居たりけり涙おちつつ」
斎藤茂吉の歌はまっすぐというか、感情がストレートに伝わってくる感じがします。
次の歌も好きです。
「自殺せし狂者の棺はひとつかつがれて穏田ばしを今わたりたり」
「自殺せし狂者の棺のうしろより眩暈して行けり道に入日あかく」
「ひとはねむるさ夜中にしてあな悲し狂人の自殺果てにけるはや」
「自らのいのち死なんと直(ひた)いそぐ狂人を守(も)りて寝ねざるものを」
「自殺せる狂者をあかき火に葬り人間の世に戦きにけり」
彼は精神病院の院長だったのですね。患者の自殺に出会うことも多かったのでしょう。その辛さ、悲しさが伝わってくる歌です。
というふうに最近は近代短歌を読んでいます(^^;