言葉は無限に溢れ出て〜mixi回帰

karibuさんから、もうちょっとミクシで頑張ろうよ。と声を掛けられたがそのつもりである。というか、mixi日記執筆→はてなダイアリーにコピペ→Facebook「ノート」にコピペの流れでやっていきたい。
自分はmixiで多くの出会いがあったし、楽しかった。とはいえ最近は、mixiやっていて良かったなあ、と思えることは少なくて、コメントやいいね!を頻繁にくれる一部マイミクさんとの交流だけ残っているという感じだ。karibuさんもいうように、mixiにアカウントは残していても、既に使ってないというか、放置しているユーザーも多いのではないか。SNSではFacebookの集客力は凄い。勝ち組というか成功者のSNSとは思わないが、まあ今流行っているのは確かだろう。だが、ネットの流行り廃りのサイクルは短い。そのFacebookだって、いつまで「勝って」いられるかわからぬのである。
最近はGoogle+というのもある。一部ネット評論では、日本ではFacebookではなくGoogle+が絶対流行る!と断言したものもあったが、私にはGoogle+の良さが全然分からない。Facebookでは音楽関係の「友達」が多いという特徴があるが、Google+にはそれもないし、それに私の友人、知人の多くはGoogle+やっていないようなのである。私の印象をいえば、出来の悪いTwitterモドキといった感じである。
さて。話は変わるが、今日も1時間余撮影して、今パソコンに取り込んでいる最中である。これは2FのWindows 2000から打っている。毎日、こんなことを繰り返して何になるのかな、とは疑問に思うけれども、それでも毎日やっている。習慣だから。YouTubeに投稿を繰り返しても音楽家にはなれないと思うが、それでもやっている。mixi日記を幾ら書こうが物書きにはなれないと思うが、それでも書いているというのと同じである。純粋に私はインターネットが好きなのだ。インターネットの可能性を圧倒的に信じている。私は「リアル」ではなく「ヴァーチャル」が充実している。言わば、リア充ではなく、「ヴァー充」だ。前も書いたが、ネットでは饒舌なのにリアルで会うと喋らないし笑わないので、人間的魅力に乏しいと思われるということがよくある。だがそれが「実際の私」なので致し方がない。実際の私をよりよく見せることはできない。ただ、私はそれこそ無限に書くことならできる。言葉は幾らでも湧いて出てくる。たいして価値のない言葉だとしても、幾らでも湧出してくるのである。それをキーボードで打つ。書き付ける。そうして毎日を過ごす。それが楽しくてたまらない。だから続ける。それが私がインターネットをやっている動機である。私にとってインターネットこそ「生そのもの」なのだ。それでいい、と思う。