おはようございます。気持ちの良い朝です。今日も一日よろしくお願いします。

Ray Bryant "Alone At Montreux"を聴いています。

Alone at Montreux

Alone at Montreux

戯れに一首詠んでみました。

  • 恋人の快癒祈りて秋の朝迎ふるわれはただの中年

正岡子規ですが、上に挙げた短歌よりも絶筆の俳句のほうが好きです。

  • 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
  • 痰一斗糸瓜の水も間にあはず
  • をととひのへちまの水も取らざりき

正岡子規 言葉と生きる』によれば次のようです。

妹の律が紙を貼った画板を子規に渡した。子規はその画板の左下を左手で支え、画板の上の方は妹が持った。碧梧桐が墨を含ませた筆を子規の右手に渡すと、いきなり中央へ
  糸瓜咲て
と書きつけた。「咲て」の字がかすれたので、碧梧桐が墨をついだ。今度は「糸瓜咲て」より少し下げて、
  痰のつまりし
と一気に書いた。また墨をつぐ。「次は何と出るかと、暗に好奇心に駆られて板面を注視して居ると」、
  仏かな
と書いた。「予は覚えず胸を刺されるやうに感じた。書き終わつて投げるやうに筆を捨てながら、横を向いて咳を二三度つゞけざまにして痰が切れんので如何にも苦しさうに見えた」。四、五分して再び筆を執って「痰一斗」の句を書き、また四、五分して「をととひの」を書いた。書き終えて「筆を投げすてたが、丁度穂の方が先に落ちたので、白い寝床の上へ少し許り墨の痕をつけた」。

非常に感動的です。これを読んで正岡子規という人がますます好きになりました。