生きる

NHK総合YMOのstudio liveらしいが、自分は見ずに中島さち子Trio "REJOICE"を聴き耽っている。

REJOICE

REJOICE

Amazonから南博さんの"The Girl Next Door"発送のお知らせメールが。ペース速過ぎ。ま、いっか。

The Girl Next Door

The Girl Next Door

The Girl Next Door

The Girl Next Door

坪内稔典正岡子規 言葉と生きる』(岩波新書)p141-142。

このような『古今集』的な歌を作っていた彼が、明治三十年に不意に次の歌を作った。

世の人はさかしらをすと酒飲みぬあれは柿くひて猿にかも似る
  愚庵和尚より其庭になりたる柿なりとて十五ばかりおくられけるに
御仏にそなへし柿ののこれるをわれにぞたびし十まりいつゝ
籠にもりて柿おくりきぬ古里の高尾の楓色づきにけん
柿の実のあまきもありぬ柿の実のしぶきもありぬしぶきぞうまき
おろかちふ庵のあるじのあれにたびし柿のうまさの忘らえなくに

自筆歌稿集『竹乃里歌』にある「柿の歌」だが、先の須磨の歌と比べると何かが画然と変わった感じがする。柿好きな自分の思いを端的に表現することに主眼があり、その主眼の表現のために言葉が働いている。これらの歌の言葉はやや古めかしいが、元々、愚庵和尚への返礼の歌であり、そのことが古い言葉に関係している。
この歌の出来た事情ははっきりしている。子規は十月二十八日に次の俳句を添えて愚庵に礼状を出した。

御仏に供へあまりの柿十五
柿熟す愚庵に猿も弟子もなし
  釣鐘といふ柿の名もをかしく聞捨がたくて
つりがねの蔕(へた)のところが渋かりき

蔕までかじっているところは柿好きの面目躍如という感じだが、この俳句をしたためた翌日、京都から愚庵の柿を運んできた漢詩人の桂湖村が来て、愚庵のハガキを見せた。歌が書いてあり、柿が届いたかどうかを問う歌だったらしい。というのも、二十九日にも子規は愚庵に手紙を書き、ハガキを見せられたこと、そのハガキにあった歌がおもしろかったことを記しているから。そして、自分も歌が作りたくなって、「俳諧歌とでも狂歌とでもいふべきもの二つ三つ出放題にうなり出し候」と述べて先の柿の歌を記したのだった。歌の後には「発句よみの狂歌いかゞ見給ふらむ」と添えている。この手紙の歌を推敲し、「柿の歌」と題をつけて子規は『竹乃里歌』に収録したのである。
子規は自分の歌を俳諧歌とか狂歌と呼んで卑下しているが、この柿の歌によって子規は『古今集』的な歌の規範の外に無意識のうちに飛び出していたのではないだろうか。「柿の歌」の位置から見ると、「古今集はくだらぬ集」であったのだ。

長々と引用してしまったが、これが最高に面白い!
ちなみに「柿」「仏」「実」などは歌集や全集では旧字体になっているが、変換できないので、坪内稔典の引いている通り新字にしておく。

正岡子規 言葉と生きる (岩波新書)

正岡子規 言葉と生きる (岩波新書)