眠れぬ夜に

精神科で処方された睡眠薬飲んでいるのにまるで眠れず諦めて起きてきて、ヨーヨー・マドヴォルザーク作曲チェロ協奏曲を聴いている。
が、寝ようとすれば眠くなく、起きていようと決意したら眠くなる、このどうしようもない悪循環どうにかならないものか。
Twitterにメモしたことと重なるが、思い出したことをつらつら書いていこうと思う。
私は小学生の頃から、算数と理科が大嫌いな子供だった。ちなみに、体育はもっと嫌いだった。
テストが0点では落第なので、最低限の勉強はしたが、それも忘れた。
中学、高校に上がってもそれはまるで変わらなかった。数学、物理、力学、化学、生物などの学科にはなんの興味関心もなかった。そしてそれで特に困ることもなかった。
私は国語の授業で様々な文章を読むのが好きだった。ただそれだけ。それと、高校の社会科の先生が哲学史の話とかしてくれたのが凄く面白くて、哲学科に進むきっかけになった。
大学受験は私立文系三科目で受験したので理数系の知識ゼロでも全く困らなかった。
大学、大学院でも理数系は一切、勉強しなかった。それほど徹底した文系人間であり、1+1=2に始まる世界を全面的且つ絶対的に拒否していたといえる。
ただ、今のように福島第一原子力発電所の事故や放射能漏れが起こってみると、理数系の知識が完璧ゼロというのは人としてまずいのかな、とふと思ったりもする。が、怠け者なので、原子力の仕組みを一から勉強してみようかなどという気持ちには一切ならない。なんで自分がそんな面倒臭いことをしないといけないのか。反原発脱原発)の本も一冊も読んでない。
話は変わるが、私の「消滅=解脱への意志」という投稿が不快だったらしく、生存=苦役にさせられている第三世界の労働者、人民のために音楽で闘ったらどうか?と嫌味を言われた。勿論私の返事はノーである。そもそもプロテストソングとか作れないし作る気一切ないし、自分は自分が感じている主観的な苦痛に耐えるだけで精一杯なので、他者「のために」闘う余裕など微塵もない。私は他人や社会に固く心を閉ざしている。自分は非社会的、非政治的なのである。反社会的人格障害なのである。ま、そういうことでヨロシク。