お喋り

Ustreamのサポート対象が、Internet ExplorerGoogle ChromeFirefoxSafariに限られるとのことで、IE8をカスタマイズしてみた。余りに起動や動作が重いので、思い切ってほとんどのツールバーを無効・非表示にし、タブも起動時には空白のページで起動するようにしてみた。今、快適に動作している。これまでの苦労は、あれは何だったんだろう…。とか思ってもしょうがないのか。
親との意見の食い違いは神経に堪えた。自分の音楽──そう云うのを好まぬなら、雑音、ゴミ、屑etc.と呼んでもいい──が、演奏においても考え方においても、音楽家である家族にすら伝わらぬというのは流石に辛い。親は売れてこそ、喰えてこそ音楽という考えである。文学についても考えは同じである。然るに自分は、大西巨人が引用する樋口一葉と同じく、文学(音楽)は糊口を凌ぐためのものであってはならぬ、と考える。
喰うという問題意識で云えば、Twitterで権田原米三さんが、転向の問題は食い扶持問題が大きい、と書いていたが、私の「転向」或いは「後退」──大江健三郎に「後退青年研究所」という優れた短篇があった──もそうであったと云えるだろう。喰えないし、都内まで出る交通費もなく、頑張って賃金労働して稼いでまで社会運動をやる気概もないから、運動を辞める、辞めざるを得ない、ということである。それはただそれだけのことである。自分は下らぬ人間で、屑、莫迦だと思うが致し方がない。
話は変わるが、回避性パーソナリティ障害は精神障害ではない、と云う精神科医がいる。病気、疾患、障害…でないなら、性格の偏りということであろうか。要するに「変な人」ということだろうか。私の感じている著しい苦痛は、余りにも主観的で自分勝手なものなので、誰一人他人にはどうすることもできぬものなのだろうか。そうかもしれぬ。戀人が出來たと云っても、それでも私は孤獨を感じてゐる。獨りで居る時、どうしやうもない孤獨を感じる。それは自分の罪だろうか。よく分からぬ。
と云ふやうな事をだらだらと考へてゐる(笑)。