絶望の教室

StickyBluesさんからの課題は、私にとって他者とはどのような存在なのか、ということ。Ustreamでも話したが、私にとっての他者とは、例えば、2ちゃんねらーだと思う。私を嘲りdisる人々。
今日は自分の考えを展開したわけだが、それは、真哲君も言うように、陳腐なものである。そして暗い。だけれども、それが36年間生きてきた結論なのだから、それでいいではないか、と思う。
自分は何ら特別なもの、特異なもの、卓越したものに至らなかったが、別にそれはそれでいい。そういう生であった、ということだ。だからこそ、無意味にして苦痛、と言っている。この類いのペシミズムがありふれている、というのも承知しているが、それも構わない。借り物の美しい衣裳よりも、ぼろ着であっても自前の考えであるほうがいい。自分はそう信じている。
自分はありとあらゆる意味で「価値」と無縁だと思う。だから、ペシミストであり、ニヒリストなのである。しかし、それで何が悪いのか? 自分は自分の個人的な境遇を個人的に生きている、ただそれだけだ。そのことは、誰からも謗られる謂れはない。