【攝津正の話】

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【攝津正の話】「人生は無意味にして苦痛なり、私はそう語る。」攝津正はそう語った。攝津正は千九百七十五年五月二十一日生まれの三十六歳(二千十一年現在)、千葉県船橋市二和東六丁目三十一番一号に住んでいる。自称・哲学者=作家=音楽家であったが、攝津正が創作活動をしているところを目撃した者はいないという。二ちゃんねるを覗いて二ちゃんねらーとやり合うことを唯一の生き甲斐として攝津正は無意味な生存を継続していた。毎日死のう、死のうと思う、だが死に切れない。死ねないから無様に生き延びる。攝津正は自己の生存をほとんど憎悪していた。何故俺は生きているんだ、と攝津正は自問した。何の価値も生産しないのに、何故死ねないのか、と。生存は無意味にして苦痛なり、と攝津正は呟いた。毎日、そう語った。だが、なかなか死なぬ。放射能を浴びている筈だが、死なない。まだ、癌にならない。単に、生きている。そのことに屈辱を覚えながら、攝津正は無意味な生存を無意味に生きていた。