真知の範囲は狭い

「真知の範囲は狭い」とは、『人間知性論』のジョン・ロックの言葉です。一般に経験論哲学は、懐疑的な傾向が強いのですが、ロックやヒュームもそうです。臆見(ドクサ)は沢山あっても、真知(エピステーメー)は少ない。

今回の大震災と原発事故に関しても、同様のことが言えます。我々のうちのどれくらいが、現代物理学や原子力発電所の仕組みを熟知しているでしょうか。

しかし、真知の範囲は狭いということは、専門家や科学者など「知識」を所有している人達しか発言したり行動したりしてはいけないということを意味しはしません。そうではなく、言論や表現も、行動も自由なのです。

原発の危険性について、様々な言論があり、我々はそれらを冷静に比較吟味して、現在の状況について推測することができます。無闇に怯える必要もないが、科学専門家が繰り返す「安全・安心」の大合唱の輪に加わる必要もない。

仮に首都圏が安全だとしても、福島原発で作業している原発労働者らの被曝の危険があります。そのような現場の人達を危険に晒していいのか、というのは倫理的な問題であり得ます。万が一の時も首都圏は安全だと言っている人がよくいますが、首都圏さえ安全ならばそれでいいのでしょうか。非常に独善的だと思います。

個人的には、放射能や余震に怯える関東の住人より、全てを失った東北の住人の救済に政府は力を注ぐべきだと思います。100年に一度の天災といいますが、現地の破壊は本当に凄まじい。私もお金さえあれば、義援金を送りたいのですが、残念ながら貧乏です。