不安定インテリ、不安定芸能者

自分の考えていることを、もう少し詳しく書いてみます。
自分が考えているのは、ひきこもりやニートを含む「駄目人間」とか「屑」などとレッテル貼りをされる人達の相互扶助運動、そして、不安定インテリ(アンテルプレケール)、不安定芸能者(アンテルミタン)の運動です。

学歴がある人より学歴がない人のほうが社会的に不利であり、故にそのような層を支援することが必要なのは確かです。しかし、学歴が高くても、不安定な人は不安定だし、駄目な人は駄目です。
私が思い出すのは、東浩紀宮台真司が出した『父として考える』(NHK出版)で、単純労働ですらもできない人もいる、今の大学院生には単純労働ができない(罵言が飛び交うような労働環境に耐えられない)し、知的労働はもっとできないという人達が存在している、と言われていたことで、要するに、東と宮台は駄目な奴は駄目と語っていたのですが、それはそうなのかもしれないけれども、そういうふうに言うならば、「駄目」とレッテルを貼られた人はまるで救いがないのではないか、と思いました。

経済学で人的資本という考えがありますが、それは教育などを投資と看做す考えです。例えば、大学、大学院に進めば、将来の労働生活で高収入を得られるであろう、ということです。しかし、現実にはそうなっていない場合が多々あります。

一つには、よく語られるように、新卒一括採用の問題です。新卒という機会を逸してしまったら、就職活動は著しく不利になります。だから、内定が取れない大学生達は、留年したり、専門学校に通ったりするわけです。

また、文学部など人文系の教養を教える大学や大学院で学んだ人の問題があります。例えば私は西洋哲学を学びましたが、それはビジネスや労働の現場で即戦力として役立つ知識ではまるでありません。だからといって価値がないとは思いませんが、現在の資本主義社会では、不利な立場に置かれることも事実です。

それと、不安定インテリ、不安定芸能者双方に共通した問題ですが、現在の情報資本主義において、哲学、文学、音楽、美術などに関する労働者は、超一流の存在がごく少数いれば良く、超一流になれない層にはそもそも市場がないということです。
不安定芸能者について書かれた本で、「もう演奏しない!」と拒否することが運動として語られていましたが、私も含め、「もう演奏しない!」と宣言することが政治的意味を持つどころか、そもそも演奏する場所や機会を見出せない不安定芸能者が無数にいます。

しかし、資本主義に馴染めない不安定インテリや不安定芸能者も、インターネットのお蔭で、自分の文章や演奏などを広く発信することはできます。私も、htmlで書かれたホームページ、ブログ、TwitterYoutubeUstream等で発信しています。そうはいっても、ニコニコ動画を運営するニワンゴの取締役らが言うように、「インターネットはタダ」という根深い文化風土がある限り、インターネットで発信しても文字通り一文の得にもならないという事態が発生します。

そのような状況に置かれている、不安定な労働者がどうすれば生き延びることができるか、豊かな生を送ることができるか、ということを絶えず自問しています。
ご意見いただければ幸いです。