うちの母親は

西部忠に怨念を抱いている。一回しか会ったことはないのに、と思うが、彼女はインターネットをやらないので、Q(を巡る紛争)の正確な理解があったわけではないと思う。
共産主義者地域通貨が若者を駄目にする、と彼女は言うのだが、それは当時勤務していた教育情報会社の社長の口ぶりそのままである。社長が、電話でうちの母親にそのような考えを吹き込んだのである。当時、彼は、私に、QやNAMと絶縁するならば正社員にしてやると言ったのだが、私は拒絶して退職したのである。共産主義地域通貨は現在の資本主義の日本では実現不可能な夢想というのは、「大人」に共通のものであり、驚くには当たらぬ。或る程度以上の年代の人には、根深い反共主義が根付いているものである。私は転向強要しようとした社長には怒りを覚える。
ところで、lets_think MLで西部忠宮地剛穂積一平(特に宮地剛)は、柄谷行人やNAMのことを、現実の経済が何一つ分からない夢想家と揶揄しているが、素朴に疑問なのは、では何故彼らがNAMに入ったのかである。NAMの理念に共感したのでないなら、何故入ったのか。紛争当時から今に至るまで、私には疑問である。
西部忠共産主義やアソシエーショニズムそのものに否定的になったようだが、それも疑問である。紛争当時、NAMを退会した西部忠にどうして退会したのか訊ねたが、彼は、NAMは柄谷行人に誘われて入ったという気持ちが強かったからだと答えていた。ということは、共産主義なりアソシエーショニズムの理念なり倫理に共鳴してということではなかったのだろうか。
西部忠はQを実現することが、NAM的理念の実現と考えていた節があるが、そうなのだろうか。仮にQが、mixiのように盛り上がっていたとして、それが何なのだろう。現実の社会の変革に結び付かぬならば。
先程のエントリーで、ダグラス・ラミスや辻信一らのスローな感性が近代経済学者らの思考と背反するということを指摘したのだが、では、西部忠はどうなのだろうか。彼は一面で、地域通貨の理論家であり実践家である。他方、経済学者でもある。最近は進化経済学の枠組みで地域通貨を論じ直したりもしているようだ。その二つの側面は矛盾なく彼の中で共存しているのだろうか。よく分からぬ。
現時点で考えると、NAMとQの共存はあり得ぬようにみえるが、NAM発足当時のことを想起すべきである。まだ何も無かったあの頃のことを。まだ会員は分化しておらず、皆が倫理的経済の実現に燃えていた。いささかおっちょこちょいだったかもしれないが、情熱だけはあったと思う。あの頃の初心に立ちかえるべきなのである。もしそうできるのならば。できないかもしれないが。