ホムペ更新

読む攝津正
http://www.geocities.jp/tadashi_settsu/read.html

2010年12月23日(木):祝日=天皇誕生日

船橋市北図書館で、レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)、『芥川龍之介全集6』(ちくま文庫)、『志賀直哉』(ちくま日本文学全集)を借りてくる。芥川の「温泉だより」「海のほとり」「尼提」「死後」、志賀直哉の「或る朝」「真鶴」を読むが、彼らの文章はほんとうにごく自然で、奇を衒うところがない。良い日本語だと思う。自分も彼らのように書けたら、と思うが、なかなかそうはいかぬ。チャンドラーも最初のほうを読む。案外、すいすい読めるのに自分でも驚く。

ところで、自分にとって決定的なのは、大江健三郎島田雅彦、特に島田だと思う。島田は(恐らく)全作品を熟読しているし、その作品に惹かれるところが多い。「モダンほら吹き男爵」に魅せられているのだ。そして、私の人生と営為も、「ほら吹き」である。島田と違って、天皇制に行ったりはしないが。

チャンドラーを借りたのは、アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』のVHSビデオを借りたが、ビデオデッキ不具合で観ることが出来ず、欲求不満が溜まったためである。映画を観られないのなら、小説を読もう、と思った。そういえば、私は、映画をほとんど観ない人である。例外的にパゾリーニは全作品を観ているが。それと、西部劇の傑作は多く観た。また、ハロルド・ロイドも多く観ている。要するに船橋市北図書館に所蔵しているものは観ているのだ。北野武は、処女作の『その男、凶暴につき』が特に好きで何度も観ている。全編に流れるエリック・サティの音楽が良い。

今不意に思い出したのだが、子供の頃はホラー映画の熱狂的なファンだった。怪奇・恐怖映画ばかり観ていた気がする。小説はSFばかり。そんな私が、14歳の「発狂」を契機に純文学に向かうようになった。だが、不器用だし、読むのに難儀するので、いまだに日本文学、世界文学に通暁しているとは到底言えぬ。今後も文学の達人になれることはないだろう。周りの文学者らを見ていると、よく分かる。自分は文学者ではないのだ、そうはあれないのだということが。まあ、文学者になれずとも、読み、書くことは毎日続けるが。一銭にもならぬであろうが。

その2

図書館の文庫本の棚と英米文学、フランス文学、ドイツ文学、ロシア文学の棚を丹念に見て、ここに所蔵されている本を全部読むとしたら膨大な時間が掛かるだろうな、と思った。が、同時に、全部読もうという気には到底ならないな、とも思った。純文学であれ、SFやミステリーであれ、読んで良かったと思える本しか読みたくない。人生の時間は限られているのであり、無駄はしたくない。必要な本しか読みたくない。そういう贅沢、我儘な心がある。図書館の本を片っ端から読破するのであれば、凄いであろうが、そういうことは出来もしないし、やるつもりもない。読みたい本、興味を惹かれた本を読む。それで十分である。