躁鬱

激しい死の衝動と愉悦が交互に訪れるのは、躁鬱気質なのか。昨日死を意欲していたのに、今日は笑っている。以前、社民党関係者と関わっていたが、私の情緒変動の激しさに驚き、私に対して不信/不審を抱かれ、関係を切られてしまった苦い経験がある。私から関係を切った場合も多いのだが、相手から切られるケースも多い。切ったり切られたりである。何しろ喧嘩上等!な負け犬だからな。狂犬攝津とも呼ばれたし、「狂犬」なんてのは格好良すぎる、豚だ、と言われたりもした。(私個人は、豚は高貴な動物だと思うのだが。)
私の躁鬱気質を理由に、希流があざ笑うなら、それもいいだろう。だが、共産主義の偉大な活動家や理論家であっても、深刻な抑鬱に悩まされていた人達もいるのだ。例えば(田上孝一さんは否定するが)ルイ・アルチュセール。自分をアルチュセールと比較するとは何と傲慢な!と思われるかもしれないが、別に自分も偉いと言いたいわけではない。深刻な抑鬱を抱えていても、共産主義者であり得るのだと言いたかっただけだ。仮にルネサンス研究会が、私が精神病だからとか、過去の経歴がいかがわしいとか、トンデモだという理由で私を斥けるなら、共産主義者の糾合という目的は果たせないのではないかと思う。いや、私は精神病だし、いかがわしいし、トンデモだが。認めるが。