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「哲学者=作家=音楽家 攝津正」に追加・更新。
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1000個ホームページを持っている馬鹿、語る(2010/12/11(土))。

芸音音楽アカデミーのカラオケを歌う会。今日は、いらっしゃるはずの方が二人、いらっしゃらなくて、Iさん一人だけのレッスンになる。一人、月謝だけ届けにいらしてくれて、Iさんが休んでいた先月の月謝と今月の月謝合わせて払ってくれて、合計の収入は4500円。うん、キビシー…。Iさんと私達親子の雑談をしていたが、Iさんは子供には厳しく、自分で働いて大学・短大に行かせたそうである。そこへいくと、私などは甘い。大学、大学院の入学金等は親に出して貰い、日本学生支援機構(当時は育英会)の奨学金も貰っていたのだから。人的投資理論といったかな、西部忠さんが言及していて知ったのだが、教育費等を将来の子供の労働賃金への投資と看做す経済理論もあるようであるが、仮にそういう視点を取ってみると、私の場合、多額の投資をしたのに全く回収されなかったということになるだろう。そのことは正直、親に申し訳なかったと思う。だが、私は、一般企業に就職する気は最初からなかったし、仮に就職していたとしてもやっていけず辞めていただろう。大学院に残れなかった(残らなかった)のはNAMにうつつを抜かしていたからで、自己責任と言われても仕方がない。そして、10年が経過し、私は研究の作法(例えば学術論文の書き方)や外国語(英語、フランス語)も忘れ果てた。外国語の辞書を引く習慣もこの10年ですっかりなくなった。専門家からすれば、なんとずぼらな、と驚かれるかもしれないが、洋書を読んでいて分からない単語が出てきたら辞書を引くのではなくその語を飛ばして読んでいた。そんな読み方だから何を読んでも身につくはずもない。ただ漠然と字面を眺めているだけだ。大学院を放逐されて、10年、すっかり私は阿呆になり果てた。だが、それもやむを得ない必然、運命、宿命であったと考えるべきだろう。私には、大学人になるという未来はなかったのだ、事後的に考えて。市井の「くず」、ひきこもりとして生きるのが私には相応しい。役立たずのゴミとして放置されるのが性に合っている。私は、駄目人間である。だが、そのことを自省すると本当に辛い。それでも、自省せざるを得ない。アカデミズムでもジャーナリズムでもどこでもやっていけなかった。人生終了と言っても良いだろう。もう私も35歳、潰しはきかないし、もう頑張る気力も根性もない。