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哲学者攝津正
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ネット乞食哲学者攝津正

さて。いろいろ話はあるが、直截にいこうか。「人生は苦痛にして無意味なり。」これが攝津哲学の唯一のテーゼだ。世の中には、いわゆる人生哲学を低く見たり、正式な哲学と看做さない風潮もあるようだが、そうだとしたら攝津哲学は哲学ではない。だが、別に構わない。私にとって重要なのは真実を語ることであるからだ。

私がこれまで、どうやって生きてきたか。その話をしようか。私は、早稲田大学の西洋哲学科に、籤引き的な偶然で入った。というのは、千葉県立津田沼高等学校の担任であり文芸部の顧問であった姫野玲子先生が、英米文学専攻やフランス文学専攻よりも哲学専攻としておいたほうが入試で入りやすいからと勧めてくれて、哲学専攻と(入試のとき)書いた。その後、一年生から二年生になるとき、教養課程から専門課程に進むとき、専攻は入試で書いたものに縛られず自由に書いて良かったのだが、私は妙に義理堅く(?)、入試で書いたことをそのまま書かなければならないのだと思い込み、西洋哲学専攻と書いた。そして、私は哲学専攻に入り、いわゆるフランス現代思想の代表的な哲学者であるジル・ドゥルーズを専攻した。ドゥルーズを専攻したのも積極的な理由というよりは消極的な理由で、ミシェル・フーコーを専攻しようとしたらフーコーが引用しているようなフランス語の古文書みたいなものが読めないといけないだろうが、ドゥルーズならオーソドックスな哲学史的知識があれば読めるのではないかと安易に考えたのである。だが、この選択も間違いだった。フランス語の古文書が読めなければフーコーが専攻できないということはないし、それに、微積分がまるでできないうえ自然科学の知識ゼロで『差異と反復』を読もうというのは無謀だった。というのは、『差異と反復』は5つの章から成り立っているが、第4章が数学論、第5章が自然科学論になっている。そのうえ難解で、模範的な翻訳者である財津理も数学や科学に言及した部分については「試訳」だと断っているほどだ。ドゥルーズの数学論や自然科学論は、或る意味戦前からのフランス哲学の伝統を継ぐもので、現代数学ハイデガー的な存在論を繋ぐものだが(その典型がアルベール・ロトマン)、私はそれを「数学的」「自然科学的」に理解するだけの知識、教養を決定的に欠いていた。『差異と反復』を読み込めば読み込むほど自分の無知なり欠陥が痛いほど思い知らされ、欝になったのをよく覚えている。だが、それでも、私は、早稲田大学大学院文学研究科修士課程に進学した。指導教授はフランス哲学専門の富永厚教授であった。富永先生の研究室の自由な雰囲気のなかで、私は伸び伸びと研究を続けていたが、しかし、当然の如くに挫折はやってきた。私は『差異と反復』の記憶論について修士論文を書いたのだが、それを審査した財津理が、私のことを「詐欺師」「フランス語がまるでできない」と面罵したのである。返却されてきた論文には余白に馬鹿だの何だの罵言が書き記されていた。財津理が書き込んだものだ。それでも私は、博士後期課程の試験を受けてみた。結果は、失敗であった。私が受験した年は確か十人ほどが受けて、全員落ちている。次の年も、またその次の年も、と試験を受け続けていたら、いつかは合格して博士課程に進学できていたのかもしれなかったが、2000年当時、私は柄谷行人が創始したNAMの運動に嵌っていた。そして、さいたま市にある進学データシステムという会社で1日4時間のパートタイム労働を続けながら、NAMをやっていた。が、2002-2003年にNAMは破綻してしまった。そして私は、社会不安障害(不安神経症)と診断されて、精神科(高根台メンタルクリニック)に通うようになった。何年通っても一向に病状が改善されないので、爽風会佐々木病院に転院したが、薬がパキシル中心になっただけで、やはり治療に進展はなかった。主治医のH先生が病院を去って、今はT先生である。途中、無料カウンセリング16回を受けたが、私の病状も認識も不変=普遍であった。私は人生、生存を苦痛と感じ=観じ、そこから抜け出すことを解放と捉えている。そもそも大学や大学院に入った当初から、自殺のことを考えていた。私が哲学専攻もいいかもしれないと思ったのは、ミシェル・フーコーの『同性愛と生存の美学』に収められていた自殺論が魅力的に思えたからであり、体系的で概念的な思弁(ヘーゲル)には興味が持てなかった。そのような体質、気質は今も続いている。私は粘り強く概念を展開させるのが苦手だし、本能的に出来ないと感じる。私に書けるのは、哲学であれ文学であれ、「自然発生的散文」(ジャック・ケルアック)だけだ。それが悪いとも特に思っていない。自分は自分の流儀を通せば良いのだと開き直っている。そうは言っても、35年も生きてきて、「生存は苦痛にして無意味なり」という認識しかないというのは、何とも貧しいなと自分で思うが、致し方がない。さて、今日のところは話はこれくらいにしておこうか。(2010/12/10(金))