大学院博士後期課程の入学試験に合格する夢

大学院博士後期課程の入学試験に合格する夢を二日連続で見た。それほどに大学、アカデミズムの世界に未練があるのかと自分で呆れたが、今からではもう、大学院に戻るのは不可能であるのは言うまでもない。
今日Ustreamで話したが、私が考えているのは実に凡庸なことで、人間は有限な存在で無限ではない。だから、選択しなければならないし可能性を絞り込まなければならない。
例えば、東洋、というか、非西洋世界の知というのは非常に豊かである。だからといって大学に入って、東洋哲学を専攻していたら、サンスクリット語の学習から始めねばならなかったし、また、就職もなかった。東洋哲学専攻は寺の跡取り息子など特殊な環境でない限り就職はない。まあ、就職のなさは、西洋哲学専攻も似たようなものだが。
また、仮に大学院博士後期課程に進学して哲学研究を続けていたなら、現在のピアノと三味線を演奏して毎日を過ごしている自分はなかったろう。ここにも、両立不可能性がある。だから、今の境遇は、たとえ不満でも、必然、運命、宿命だと考えるべきだ。
と思うとともに、反対のことも考える。というのは、「運命だ」と考えることそのものが認知の歪みであって、別の可能性も常にあったし現にあるのではないか。例えば、私は私のピアノ演奏のフリースタイルを変更不可能だと思っている。しかし、誰かについて習い、練習すれば、ビバップのピアノを弾くことだってできるかもしれない。問題はそうするだけのカネがないことだ。根気もないかもしれないが。
纏まりがないが、ここで送る。