いーぐる普遍論争への私の総括

netjazzさんとid:MosesHessさんが総括を出しているので、わたしも。
わたしは「白旗男」というエントリーから介入を開始したが、議論の論旨の明晰化にどれほど寄与できたかは分からないが、わたし自身の考えの明晰化には十分役立った。自分がどう考えているのかは分かった。だが、謎は謎として残った。
その最大のものが、一般的な相対主義を採用するとき、クラシックはヨーロッパの一民族音楽、ジャズはアメリカの一民族音楽になるということで、本当にそれでいいのかという問題である。普遍性、いや世界性という言葉を用いたほうがいいかもしれないが、そのような事実はないのか。クラシックやジャズが、後にはロックが、ヨーロッパやアメリカに留まらず世界中に伝播したという事実を、どう考えるべきなのだろうか。この問いが、謎として自分の中に残った。
哲学的、美学的にいえば、ドゥルーズの『シネマ』を例にとりながら、先行するのは批評(喧々諤々の賛否両論)であり、ミネルヴァの梟のように、美学なり哲学はその「後で」やってくる、ということだと思う。最初には、対話、議論の空間があるのであり、それが歴史として整理されるのは後になってからのことだ。例えば我々が現在、向き合うのは、価値の不確定な作品なのである。例えば大西順子の『バロック』。
そういうことを考えた。