攝津家の物語

時間が一気に飛ぶが、今年の1月。芸音音楽アカデミーの会員さんが遂に0人まで減った。グループを一旦解散して、会費を上げて再び来月集まりましょうという話になっていたのに、飲み会、宴会の席で、酔っ払った父親が、ここは俺の持ち物だ、おまえらは来月から出入り禁止だ、と言ったため(本人は酔っ払っていて覚えていないので、そんなことは言っていないと言い張っているが)、グループ解散となった。そして、グループはなくなり、会員さんの数も0人になった。
その頃、私も、情緒不安定になり、一年半勤めた浦安の倉庫の仕事を辞めざるを得なくなった。それで、攝津家の収入は0円となった。
ではどうやって喰っていたのか。借金である。ありとあらゆるサラ金、カードローン等から借りて、ようやく住宅ローン(20年の?)を終えた。しかし、クレジット会社からの借金はまだ残っている。
攝津照子と私は、芸音音楽アカデミーを再びやろうと、辞めていった会員さんらに声を掛けた。11月現在、会員さんの数は20名超である。月謝が安いコースの人が多いので、やっていくのは大変だが、全くの無収入よりはましである。私も、CDを買ったり、ジャズのライブに出掛けたりするのを止めた。節約、節約である。節約して、二和向台の街に根付こうとしているのである。