近代芸術

先程のエントリーで宗教について語ったが、近代芸術は神なき時代の宗教のようなものではないか、と考えてみる。どこかで聞いたような科白だが、それはまあ措いておいて。
以前、私は神秘体験を語った。神なき神秘体験、語義矛盾だ。私はそれを、唯物論的な神秘体験とも呼び、バタイユの名を挙げた。(実はジョルジュ・バタイユを読み込んではいないのだが。)
私にとって哲学や文学、音楽等芸術は特権的な美の体験、脱自(忘我)体験としてある。その体験のありようそのものが、歴史性なり文化に制約され媒介されたものであることは認めるが。プラトン主義的(新プラトン主義的)秘教的審美主義というべきか。