神秘体験

私は唯物論者だが、神秘体験はある。頻繁にある。
例えば、先程「ティーパーティー」等の文章を草した直後。私は、抜け殻になったような、虚脱状態、そして同時に、昂奮状態に陥る。要するに自慰的なわけですが(笑)。
私にとって、文章とか音など表現というのは、唯物論的神秘体験みたいなもの。意味わけわかめかな? それを神とか神秘とか呼ぶべきではないかもしれないけれど、「何か」と接する。その例えようもない悦び。密やかな悦楽。それとともに、犠牲。この悦びのために、私は「普通」の人生を棒に振ったのだ、という。