ティーパーティー

NHKクローズアップ現代アメリカの中間選挙の情勢分析をやっていて、オバマ民主党は相当不利、下院で過半数を失うだろうし、上院も共和党民主党勢力伯仲するだろうとのことだった。
まあそれはいいとして、私があれ?と思ったのは、番組の中に出てきたティーパーティーという草の根保守運動のことであった。
ティーパーティーは、貧困層に再分配するオバマを「社会主義者」と罵り(冷戦終結後、「社会主義者」という言葉がまだ罵倒語として用いられていることに驚いたのだが)、古き良きアメリカの理念を取り戻せという。
で、そのティーパーティーに最近参加したという若い母親の話が興味深かった。彼女は、中学生か高校生くらい?の息子さんの言葉に驚いてティーパーティーへの参加を決心したのだという。
その息子さんは、「なんで働かないといけないの? 働かないで失業保険を貰えばいいじゃないか」と言ったそうなのである。
私があれ?と思ったのはここである。彼女の息子さん、正しいじゃないか。辛い労働なんかせずに、社会扶助で生きようなんてのは、子供にしては珍しく立派な惰民的心掛けである。
つまり、私は、彼女の息子さんと同意見なのだ。だから、息子の言葉に危機感を覚えてティーパーティーに入ったという母親が理解できなかった。

もう一つ。書こうと思ったのは、現在の日本の不況、デフレ等のことである。現在の閉塞状況を脱するには、「経済成長」が必要で、そのためには「経済学」が必要なのだと説く人が多い。例えば、雨宮処凛と対談している、飯田泰之id:Yasuyuki-Iida)など。
それに対し私は、「経済成長など不要、無用である。不況、デフレは無意識的なgeneral boycott」と唱えたい。
ダグラス・ラミスに、『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』という本があり、平凡社ライブラリーで文庫化もされている。しかし、そのラミスの思想が皮肉なことに「好況期の思想」であったということか、今のこの不況、デフレの時代に、彼の思想を顧みようという人はほとんどいないのが現実である。経済成長しない、発展しない世界になってしまったら、ほとんど本能的に、経済成長、プラス成長を願望してしまう、それが世の人々の大半であるのだろう。
だが、そこでしかし、ダグラス・ラミスなり、general boycottを呼び掛けたNAMの柄谷行人(『可能なるコミュニズム』)を想起すべきだと思うのだ。
経済成長せず、商品が売れない今の社会は、実は彼らが理想化した「対抗発展」「general boycott」が無意識的に大衆的に実現しつつある社会だと捉えるべきではないのか。
それと、さらにつけ加えて言えば、吉本隆明が『わが「転向」』という本の中で、資本主義が高度資本主義社会、消費社会になって、古いマルクス主義は無効になったが、今の消費社会が行き詰まるような状況になれば、その時には「新しいマルクス」が出てくるだろう、自分はそれを待望すると語っていたのだが、私はその議論に深く共感する。
吉本が褒め称えていた高度資本主義社会、消費社会が行き詰まったのが、この十年ほどの社会である。彼が自覚せずに予言的に語っていたような、「新しいマルクス」が要請される時代なのだ。
例えばティーパーティーに反論できるような、新しいマルクス。その出現が待ち望まれている。勿論私も、それを待ち望む者の一人である。

脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる

脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる

経済成長がなければ私たちは (平凡社ライブラリー)

経済成長がなければ私たちは (平凡社ライブラリー)

可能なるコミュニズム

可能なるコミュニズム

わが「転向」 (文春文庫)

わが「転向」 (文春文庫)