死刑制度についての予備的考察

まあ、予備的な考察を。

(1) 今回の耳かき店員とその祖母の殺害事件に関しては、被害者に何の落ち度もない。一方的に理不尽な好意を寄せられて、それが満たされなかったがための犯罪です。親族や友人、同僚の「死刑を望む」という一致した声もある。

(2) そのうえで、裁判員裁判で初の検察側死刑求刑ということは、いろいろ問題を提起する。例えば、絶対的平和論者のような、絶対的死刑廃止論者が籤に当たって裁判員になったらどうするのか。その人が断固、死刑を拒否したら、どうするのか。その人に、自分の思想信条を貫く権利、自由は与えられるのか。

(3) 死刑の是非については、幾つかの点から論じることができる。(a) 潜在的には、誰もが罪を犯す可能性があること。人間の情念、衝動ほど非合理的で予測不能なものはなく、自分自身が凶悪な犯罪を未来永劫犯さない、という保証がない。(b) 冤罪であった場合、取り返しがつかない。(c) 国家というものが、「法」というかたちで、合法的に暴力を独占している状態をどう見るのか。近代国家は、軍事、警察、司法というありようで、合法的に暴力を独占しているが、そのことをよしと評価するか、否定的に評価するか。そのことを否定的に評価する場合、代案はあるのか。(d) 死刑制度を廃止せよという場合、代案は何か。仮釈放なしの終身刑なのか。それは現実的に、可能なのだろうか。

Ryotaさんは、「死刑を望まない被害者遺族もいる」というけれども、極刑を望む被害者遺族の存在はどうするのだろうか。
また、犯罪者の改悛をもって遺族が癒されるという修復的司法という制度があるというけれども、犯罪者が改悛を拒否する場合はどうなるのか。また、犯罪者が改悛しても、殺された人は生き返ってこないが、この「修復不能性」はどうするのか。

Twitterにて。
友人1の意見。
「僕も今日は死刑についてちょっと考えました。自分が裁判員になったらどうするか、結論を出しておかねばと思い。^^ 結論として、僕は死刑を支持しないということにしました。終身刑よりさっさと死刑になった方がましだというような感覚もあろうから。」

友人2の意見。
「誰でもそうだと思います。いつ殺人者になるかわからない。私もそうです。」

友人3の意見。
「駅で肩が触れた程度で殺意を抱く場合もある。」