沢山の物語

暫定的なメモです。
後藤さん(id:eaglegoto)が徹底した相対主義的視点をお持ちだということは、クラシック音楽民族音楽のone of themと看做す姿勢から窺えました。私としては、幾つか考えるところがあります。

クラシック音楽(と呼び慣れているが、前も書いたように、訳せば古典派音楽となるこの言葉は不適切で、「近代ヨーロッパ音楽」とでも呼ぶべきところ)が何故、世界中に広まったのだろうか、という点が一つです。この点は、20世紀のジャズ、ロック、それに続くポップスなどについても問わなければなりませんね。
もう一つは、「民族」という括りが適当かどうか、ということです。共産主義マルクス主義)の国際主義は民族主義(ネーション主義)を解決できなかった、とはよく言われますが、民族(ネーション)そのものが文学や音楽など芸術等を通じて形成された「想像されたもの」(幻想の共同体)だということを押さえておく必要があるでしょう。「民族」という語りを採用するならば、例えば私は日本民族、日本人(ヤマト)に属しますが、それに属さない少数民族の存在(アイヌ民族や沖縄など)にも配慮すべきだし、異邦人、外国人、移民などの存在も顧慮すべきでしょう。それに同じ日本人・日本民族(ヤマト)といってもその内部は多様であり、例えば邦楽一般と津軽三味線はかなり違います。
私としては、「民族」を基軸に考えることに若干の疑義がないわけでもないのです。資本主義のグローバリゼーションは国境を越えてしまう。模倣ということでいえば、日本の歌謡曲が海外、例えばアメリカのそれの模倣ということもあるだろうし(有名な例では、西城秀樹の「ヤングマン」のカヴァーでしょうか)、日本の歌謡曲が、数十年遅れで、アジア諸国等で流行しているといった現象もある(これは飲み屋をやっていた頃、外国人の客から直接聞きました)。

以上二つの問いは措いておくとして、私が考えたのは、以前の書き込みで、自分はクラシックやジャズは普遍的だけれども、演歌・歌謡曲は特殊というニュアンスのことを書いたけれども、そうとも言い切れないのではないだろうか、ということです。
もう一つ、芸術音楽と商業音楽の区別も判明なものではない、ということも。

というのは、カラオケ機器が普及する以前の、キャバレーやクラブ(今でいうクラブではなく、当時──50年くらい前──の意味ですよ)を考えてみればいいと思うのですが、そこではバンドメン、ジャズメンは演歌・歌謡曲や流行歌なども演奏していました。私の両親は石橋幸雄(ts)、攝津(石橋)照子(pf)と言い、二人ともバンドメンでありバンドリーダーでしたが、彼らはキャバレーやクラブでジャズと共に流行歌等も演奏していた。
純粋なジャズ、本場のジャズなどは、むしろジャズ喫茶のような空間で純化されていったのではないかと思われます。日本のジャズが、日本の民衆音楽、歌謡曲などとかけ離れた存在でなかったということを、『栄光のシャープス・アンド・フラッツ』を聴いて思い出したのですが、というのも彼らは、美空ひばりの「真っ赤な太陽」なども演奏していたからです。また、シャープス・アンド・フラッツは「愛のままに」の秋元順子とも共演している。それは日本的特殊性というよりも、ジャズが日本で生命を持って生きていくための必然だったのではないか。というふうに考えれば、ジャズよりも演歌・歌謡曲・流行歌が下にあるかのような価値判断をすることはできない。勿論、両者は違うものです。しかし、関係してもいる。

芸術音楽と商業音楽ということでいえば、ジャズを仮に「20世紀アメリカの商業音楽」と定義するとすれば、そこから零れ落ちるものが多数ある。現在は21世紀だし、ここはアメリカではなく日本だし、商業的に成り立っていないアマチュアセミプロの裾野も膨大に広がっている。Youtubeニコニコ動画Ustreamなどに。私の音楽も、そういうアマチュア、非商業音楽(芸術音楽とは敢えて言いません)の実践の一つなわけです。
これは日本だけの現象ではなく、特にフリージャズは、商業的に成り立ちにくい性質がある。有名な例を挙げればチック・コリアの「サークル」が、前衛を志向しつつ、商業的には全く成功しなかったということがあります。アメリカのジャズメンのヨーロッパ脱出なども、現代音楽などの土壌もあり比較的ヨーロッパのほうがフリーが受け入れられ易い土壌があったからではないでしょうか。日本も、山下洋輔トリオが評価されたのは海外のジャズフェスでだったし、高瀬アキなどはドイツに住んでいます。

表題を「沢山の物語」としたのは、唯一の普遍=大文字の歴史(History)があるのではなく、無数のもろもろの小文字の歴史(histories)、物語(stories)があるという意味です。複数の歴史があり、それは同期しておらず、ずれている。前述したように、日本の歌謡曲が数十年遅れで途上国で流行しているなどはその好例でしょう。
クラシック、いや「近代ヨーロッパ音楽」の問題は、歴史、物語のone of themであるはずのそれが、何故「世界性」を持つ(或いは持っていた)のかという問いになりますが、それを社会学的に帝国主義や権力の問題として捉えることもできますし、音楽に内在して記譜法や楽典などが普及し易い形式だったという理由を考えることもできます。
中上健次のジャズエッセイ『破壊せよ、とアイラーは言った』は、「コードとの格闘」の物語で、コルトレーン、アイラーによってそれは解体され尽くして物語は終わる、ということになりますが、実際はそんなに簡単ではない。
本当にヨーロッパ近代(の影響圏)から出ようとすれば、近年の高橋悠治の作品の一傾向のように、純邦楽やアジアの音楽の技術などを本格的に導入するしかないでしょうが、私自身は、それには余り魅力を感じていません。ジャズでいえば、民族(民俗)音楽に最も関心を示し取り入れたジャズメンは、オーネット・コールマンとの双頭コンポを解消して以降のドン・チェリーでしょうが、評価については差し控えます。日本というテーマに関しては、秋吉敏子のもろもろのビッグバンド作品のほか、私が聴いたのは、小唄などを取り入れた近藤等則の作品などです。正直、よく分からなかった。けれどもそういう視点も大事なんだろうな、と思って聴きました。

破壊せよ、とアイラーは言った (集英社文庫)

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