明星一平さんへ

私の問いは一貫して(クラシックではなく)「ジャズ」に向けられています。
何故20世紀(以降)世界的に普及したのがジャズであって他のもの、例えば(ここで挙げるのが適切かどうか分かりませんが)演歌・歌謡曲などでなかったのか、ということです。
ジャズが、新大陸アメリカで、ヨーロッパ音楽とアフリカ音楽が出会うことで誕生した、とはよく言われます。しかし、同様のことは、ヨーロッパ文化と衝突したあらゆる文化圏で起きている。例えば日本においては、演歌・歌謡曲のようなものが生まれた。しかし、ジャズと演歌を同等なものとして比較する論者を寡聞にして知りません。
ジャズに関して、幾つか歴史的な条件を押さえておく必要があると思っています。

第一が、アフリカからのアメリカへの黒人奴隷の輸入という帝国主義植民地主義的な事業。
第二が、南北戦争と黒人奴隷の(一応の、名目上の)解放とそれ以降も執拗に続いた人種差別。
第三が、レコード等に記録され普及されるようになった段階では、ジャズにとって、起源としてのアフリカも、奴隷だった過去も、遠い「記憶」になっていたということ。これについては、菊地成孔デューク・エリントンの「ジャングル・スタイル」について触れていますが、「想像されたアフリカ」ということです。

この三つの(他にもあるでしょうが)条件を背景に誕生したジャズが、世界に普及した。ヨーロッパや日本などに普及した、ということです。その事実の不思議、無根拠性を考えると、時に慄然とします。

クラシック音楽、というかこの言葉は訳せば「古典派」になるので不適切だと思うのですが、ヨーロッパ音楽を基準にすれば、ジャズは「ロマン派の一形態」になると思います。ロマン主義の時代において、民族的な旋律やリズム等を積極的に摂取した作品群が生まれますが、ジャズはその一種捩れたケースだと言えなくもない。

ジャズ成立の条件を挙げましたが、押さえておくべきは、ヨーロッパとアフリカの出会いといっても、それは対等な出会いでも幸福な出会いでもなかった、ということでしょう。アフリカ文化・アフリカ音楽がその十全な完全なかたちで、ヨーロッパ文化と出会ったわけではなかった。黒人奴隷は部族もばらばらにされ、言葉も音楽による共通のコミュニケーションも通じず、ばらばらの状態にされていた。そういう悲惨な状態の中から、断片的な記憶が織り綴られていったのがジャズの歴史なのではないでしょうか。
他方、バークリー・メソッドと呼ばれるものは、私見ではヨーロッパの楽理を簡略化、記号化したものです。高橋悠治のような人が、ジャズメンを泥棒と罵るのは理由がないことではない。ジャズにおいては、ヨーロッパ音楽の基本的な約束事がそのまま保存、踏襲され、そのうえに他の要素(ジャズに固有の何か)が接木されているのです。