深夜、船橋へ。

時刻は二十二時を過ぎていて、私は睡眠薬を飲んで横になっていた。そこに年老いた母親が入ってきた。友人から電話なのだという。こんな夜分、何だろうと訝りながら電話に出ると、Wordファイルを印刷して欲しいという用件だった。明日にでも持っていけばいいのかと思えば、今すぐ持ってきて欲しいのだという。
私は、寝室のある二階からノートパソコンがプリンタに繋がっている一階の店舗に降り、友人から送られたWordファイルの指定された箇所をプリントアウトした。急いで寝巻きから日常着に着替え、新京成線二和向台駅を23時32分に出る電車で、船橋に向かった。途中、新津田沼駅で、JR津田沼駅乗り換えで、船橋方面上りの最終電車が0時3分で、0時7分頃には船橋駅に着くと携帯電話で友人に告げると、心なしか落胆した声である。どうしたのだろうと思ったが、とにかく船橋駅に向かった。
改札を出て、友人に会った。印刷した文書を手渡したが、事情を訊くと、この日が小説の新人賞の応募締め切り日で、午前0時消印有効だったのだという。そんな深夜に郵便局はやっているのかと問うと、船橋中央郵便局は0時までやっているとのことだった。友人は、明朝、朝一で郵送してみるよと笑ったが、本当にぎりぎりのところで間に合わなかった。事情を知っていたなら、タクシーで船橋駅に向かったし、そうしていたなら間に合ったのにと悔やまれたが、後の祭りである。友人のほうも説明不足だが、私も軽率だった。
友人が、攝津さんは小説書かないの、と問い、私が、書けないよ、と笑う。友人は、ネタは無尽蔵にあるでしょう、と言うが、私のほうは黙って笑う。
帰りは電車がもうないのでタクシーに乗ったが、携帯電話で親に顛末を報告していたら、それを聞いたタクシーの運転手さんが、大学のサークルか何かですか、と訊いてくる。私は苦笑いして、大学なんかとうの昔に卒業してますよ、と答える。
帰宅し、パソコンをシャットダウンし、汗を掻いたのでシャワーを浴び、寝たら、午前1時を回っていた。すぐに眠れた。