不眠

馬鹿げたことだが、明日寒いと聞いて寒さ対策をしっかりして寝たら、暑苦しくて眠れぬ。で、起きてきた。阿呆だと思うが。
江藤淳小林秀雄』で誰もが引用する箇所で恐縮だがと断りつつ引用していた箇所を探したが見当たらず、小林秀雄全作品1から直接探して見つけた。様々なる意匠の有名なくだりである。

方向を転換させよう。人は様々なる可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。この事実を換言すれば、人は種々な真実を発見する事は出来るが、発見した真実をすべて所有する事は出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である。雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る、斯く言わば弁証法的に統一された事実に、世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。或る人の真の性格といい、芸術家の独創性といい又異ったものを指すのではないのである。この人間存在の厳然たる真実は、あらゆる最上芸術家は身を以って制作するという単純な強力な一理由によって、彼の作品に移入され、彼の作品の性格を拵えている。(様々なる意匠)

これは小林秀雄が1929年(昭和4年)、27歳で発表した文章である。
ここで小林は宿命を語っている。宿命とは必然性とも悲劇(吉本隆明)とも言い換えられるものであろうが、私はその宿命に抗いたい気持ちになるのを感じる。
「彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。」私は私以外のものにはなれなかった。しかし、私以外のものになることを願って悪いわけがあるだろうか? 「別の」私を夢想して悪いわけがあるだろうか?
「様々なる可能性」はそれ自体としては、単なる可能性に過ぎない。つまり虚しいものである。しかし、かくある自分だけが真実の自分で、別様にあり得る自分を認めないというのは、かの法権利の哲学の序文のヘーゲルだ。つまり、現実的なものは必然的であり、必然的なものは現実的である、云々という。

話は飛ぶが、書き留めておきたいことがあった。
それは私が、禁欲主義やリゴリズム(倫理的厳格主義)に反対だということである。この点では、私は非常に資本主義的であるとも思う。資本主義の発展は、個々人において多くの欲望(この言葉をドゥルーズ=ガタリ的な意味ではなくごく普通の意味に使う)を開発し、また満足させる。資本主義は、言葉の普通の意味で、解放的でさえあり得る。私は、そのような資本主義の機能をもともと肯定してきたし、今も肯定している。それは、『マス・イメージ論』などの吉本隆明に見られたような、日本的なポストモダニズムの残り滓かもしれない。だが、そう信じて生きてきたのだ。
私が大学に入って嫌悪を感じたのは、ノンセクト・ラジカルの人達が展開していた「現代若者論」である。それは当時の「現代」の若者=学生がいかに駄目かということをこき下ろす文章で、しかし要するに、若者がかつてのようなものとは違ってきているから駄目だという論理しかない代物であった。
私は彼らの現代若者論が嫌いであった。彼らがこき下ろすところの、現代の若者=当時の学生らを擁護したいと思った。政治的にも文化的にも、彼らが想定している60年代70年代とは時代が違うのであり、学生が内向き志向であっても個人主義であっても仕方ないではないか、というのが私の言い分だった。
例えば私は芸術ウピョピョン会「狼」というサークルに入っていたが、そこのOさんという先輩はノンセクトであった。私が何かの交流会を断って帰った時、Oさんから叱られたことがある。酒や麻雀の席には必ず付き合うべきだというのである。しかし私は納得が行かなかった。
また、テキサスというノンセクトの親玉が入っていた、ブルース軍団というサークルがあったが、そこではアパートの自室に鍵を掛けた奴は即クビという掟があった。つまり、いついかなる時も施錠せず、自由に互いの部屋を行き来する、原始的なコミュニズムの真似事みたいなエートスが強制されていたのである。私は、そのような蛮カラ風俗みたいなものにも嫌悪感を持った。それではプライバシーとか個人の自由みたいなものはないじゃないか、と思ったのである。「個」の軽視というのは、当時の左翼学生全般が持っていた悪弊であった。現在はどうだか知らないが。

ふと思い出して書いてみた。ここで一旦送る。

小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠

小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠