マリア・ミース

フェミニストのマリア・ミースの分析を読み、その正確さに驚いたことがある。これは第三世界のみならず、一部その他の地域にも当て嵌まると思った。実際、私の家庭などは、ミースが語るような主婦化された女性労働によって支えられていた。
彼女が書いていたのは、第三世界で、男が働かなかったり失踪したりして、仕方なしに女性が労働して家計を支えているケースがままある、ということだったが、私の家庭がまさにそうだった。働かない男(達)。働く女(母親)。
私が生きてきたような世界は、第一世界内部の第三世界のようなもので、私自身がパートタイマーとして賃労働=肉体労働していた時も、「主婦化された」労働に従事していたといえると思う。資本(資本家)は、プロレタリア化、言い換えれば正社員としての雇用を望まない、セミプロレタリア状態にしておいて、パートタイマー等として雇用したいのだ、そのほうが利潤が上がるから、というのは、今日的状況を予見していた分析であったといえる。
国鉄民営化以降、小泉改革以降進んできた、そして現在も進んでいる労働力の非正規化という社会現象は、第一世界内部の第三世界化であるともいえると思った。貧困といっても、絶対的貧困にあるのは第三世界の人民であり、第一世界=先進資本主義諸国の人民は貧困といっても飢えるほどではないと思われていた。しかし、「おにぎり食べたい」と餓死するような人も現われてきた。これは闇の北九州市方式とも呼ばれる、悪質な福祉切りの結果でもあるが、大きな流れとしては、サッチャー以降の福祉国家批判がある。が、以前も書いた通り、福祉国家が否定されているといっても、EU諸国には、福祉で喰っている人はまだまだいる。そこから比べれば、「自己責任社会」アメリカや日本は地獄である。
そうは言っても生存を諦めるのでないなら、生き延びねばならず、そのための制度や技術を模索しなければならない。

一旦ここで送る。

国際分業と女性―進行する主婦化

国際分業と女性―進行する主婦化