2つの決定論

若き吉本隆明は、初期マルクスに拠って、マルクス主義の経済決定論を批判していたはずであった。その彼が、今になって、近代経済学、いな、新自由主義経済学(ネオリベ)の市場決定論をあからさまに支持するとはどういうことなのか。消費社会化は「経済的な必然だから仕方がない」のか。芸術作品の価値も、市場が決めるのだと考えるとしたら、吉本が長年培ってきた芸術論、文学論、「芸術言語論」なども無効になると思うが、どうなのか?
また、吉本は音楽と文学を並べて論じているが、両者には相違もある。音楽の場合、特にクラシックの演奏家の場合、幼い頃から音楽教育を施されることが必要である。しかし、文学者の場合、成人して自分の意志でそうなるのである。生まれながらの文学者とか、作家になるべく育てられた文学者などというものはない。三島由紀夫の場合も、作家として育てられたのではなかった。