アントニオ・ネグリ / マイケル・ハート / 〈帝国〉 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 / (訳)水嶋一憲 / 酒井隆史 / 浜邦彦 / 吉田俊美

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

ネグリ=ハートの『帝国』(以文社)について不思議なことは、それが「理解されるより前に拒絶された」、否認されたように見えるからだ。
柄谷行人すが秀実は、『帝国』は反米の書ではなくペンタゴンを喜ばせる書物だと揶揄し、(『資本論』ではなく)『共産党宣言』のマルクスに対応するとした。9.11やその後のイラク戦争などは、アメリカが帝国ではなく帝国主義的であることを証明したとも論じた。
また、長年アメリカに留学して社会学を学んで帰国した知人は、アメリカでは『帝国』はまともに扱われていない、実証的でないが故に、と語った。
私はこれら全てに同意できない。勿論批判はすべきだろうが、まず理解することが先決だと考える。
柄谷行人すが秀実の批判にあるような、『帝国』はイラク戦争を説明できないというのは、『帝国』がイラク戦争のようなものより湾岸戦争のようなもののほうに適合的ということであり、現代の戦争としては湾岸戦争型のほうが重要であるという事実を見落としている。イラク戦争は、ネオコンイデオロギーに照らしても明らかに違法で異常なものだった。例えばフランシス・フクヤマらはイラク戦争に反対し、ブッシュ政権批判に転じた。そして、「核なき世界」を謳うオバマアメリカが帝国主義的か帝国的かは明らかである。
実証的でないから駄目だ、というのであれば、ドゥルーズ=ガタリなども駄目だろう。実証的な科学以外を全て退けるというなら一貫しているだろうが、私自身はそのような立場を取らない。思弁や想像にも価値を認める。