資本主義的ニヒリスト

資本主義的ニヒリストであると、先程自己規定した。それは共産主義(者)になれば解消するといったものでもないし、何らかの宗教に入信すれば救われるというものでもない。漱石流にいえば、死ぬか、気が狂うか、宗教に入るか。死ぬことも宗教に入ることも拒絶するならば、気が狂うしかないのか。いや、もう既に気が狂っているのではないか。自覚症状がないだけで。
北朝鮮に亡命した元オウム信者は、公安調査庁にスパイを強要された挙句、資本主義的奴隷になりたくないと言って川に飛び込んだ。彼女のことがずっと気に懸かっている。彼女の振る舞いを、単に奇矯な愚行とするのでは、理解できないことがあると思う。それは私自身もまた、資本主義的奴隷に成り下がっており、そのことをどうにもできないでいるということだ。
古い言葉でいえば、疎外からの回復が求められている。しかし、その道筋は不明である。共産主義アナーキズムも、無邪気に信じられる対象ではない。